Archives 2018

《オーストラリア生死の旅―6》

つづき…

前の文章ではオーストラリアの病院の救急病棟に運び込まれ、その晩は本当に苦しくてよく眠ることができなかったというところまでお話いたしました。私は小さい時から大きくなってもなお本当に病院嫌いだったのですが、有名な権威のあるお医者様や看護師の方と親交を深めるご縁があったばかりに、だんだんと病院を嫌わなくなってきていました。救急病棟でのことに話を戻しますと、私の意識はすでにだんだんとはっきりしてきていて、目が覚めるとオーストラリアの病院が非常に清潔で、しかもみんなとてもしっかりと防護を施しており、少しもいい加減にしていないと感じてました。彼らの病院の中は強烈な薬の臭いはせず、しかも彼らは病人のそばに近寄る度に透明の防護服を身に付 け、とてもよいビニール手袋をはめ、また使い終わった防護服や手袋はすぐに捨てていました。台湾も彼らのように、病人や医療に携わる人をしっかり守り、また、病院は恐い所だと人々に思われないように、つまり病院は薄暗くて陰気な感じをなくし、人々に安心感を与えるようでなくてはなりません。最初の晩は救急病棟で様々な検査を受け、二日目の朝、主人と添乗員さんが病院に訪れてくれました。しかも私が大好きなソーセージを持ってきてくれたのですが、残念なことにまだ具合が悪かった😭せいで少ししか食べることができませんでした。添乗員さんは朝ツアー客をゴールドコーストへ連れて行かなければならなかったので、彼は私たち夫妻の為にガイドさんをもう一人探してきてくれました。アニーさんという私たちと同じ台湾人の方でした。私たち夫妻は、添乗員の林本堂さん、及びガイドの王さん(David)には大変感謝🙏しております。なぜなら非常に優秀で非常に善良で思いやりのあるアニーさんを私たちに紹介して下さったのですから。彼女は翻訳や私たちのお世話を引き受けてくれ、私は彼女に心から感激していました。病気で寝込んでいたときから私たちの飛行機✈️の時間まで、アニーさんはずっと私たちに付き添ってくれていました。そして、私も彼女のことを妹として迎え入れることに決めました。
オーストラリアの病院で二日目となった夜、私は上の階にある個室の病室に移されました。一人で部屋にいるのは本当に寂しかったですが、時折看護師さんが訪れて、お腹は空いていませんか?と尋ねてくれました。彼女たちはみんな笑顔で私に話しかけてくれ、本当に素晴らしく本当に可愛らしいと感じられました。ただ、ここに入院するのは本当に高くて、一晩約2千オーストラリアドル(5万台湾ドルほど)もするのです。では三日間もオーストラリアの病院に入院したら、いったいいくらかかるのか、皆さんは知っていますか?私は3日目には辛抱することができませんでした。なぜなら、彼らの食事は本当に食べ慣れることができなかったのです。朝食はパンとバター、ジャム、そして紅茶でした。昼食、夕食とも牛肉とマッシュポテトと一杯の紅茶で、彼らの出すスープも味が濃くドロドロしすぎていて飲み慣れることができませんでした。白いご飯もなく、私は牛肉を食べないのですから。ですので、食欲がなかったため、血糖値は下がり、私はとても衰弱していました。続く・・・

@@@さらに素晴らしいお話はこの後ですので、どうぞお見逃しなく~

《オーストラリア生死の旅―5》

つづき…

前の文章では、私は担架に乗せられ、酸素マスクをつけられ、CPRも施されました。意識がもうろうとした状態でオーストラリアの病院の救命隊の方なのかお医者様が、私に薬を二粒飲ませてくれました。そして何かの注射もされました。いずれにしろ、病院の救急病棟に着くまで、意識はもうろうとしたままでした。病院に着くと、すぐさま注射を打って検査をしました。言葉が通じない上に、検査やら何やらで私の命はもう半分しか残っていないような状態でした。幸いにも私のLINEには、主治医の陳育民主任(台北栄民総醫医院胸腔內科主任及肺癌学会理事長)と、もう一人台北の林森北路で開業している、弟のような強強(薬剤師の謝さん)の連絡先がありました。普段から主治医の陳主任と謝さんは、私の体調の状態をよくわかっていらっしゃるので、その二人と運よく連絡が取れ、この私の二人の貴人(助け人)はオーストラリアの病院の医師に説明をして下さったおかげで、鬼門が閉まる直前に助けられました。本当にお二人のおかげで命拾いをしました。主治医の陳育民主任と謝さん、大変感謝しております。🙏その時、オーストラリアの時間で夜の8時30分くらいだったのですが、私の検査はずっと夜中の1時近くまで続きました。主人とガイドさん、そして添乗員さんは検査の結果が出るまで待っていてくれました。コンピューター断層検査で、何ら問題が無いとわかったので、みんな比較的安心しました。主人と添乗員さん、ガイドさん達がお疲れで悪いので、私は皆に先にホテルに戻って休んでください、と言いました。私は大分状態は良くなったので、一人で病院にいても、救急病棟の医師や看護師さんたちが沢山いるので心配しないでといったので、ようやく主人はあまり安心したとは言えずにホテルに戻ってくれました。その夜病院で一人でいた時は、あまり良く眠れませんでした。医師や看護師たちが代わる代わるやって来るので、なかなかゆっくりできませんでした。多分私がアジア人だったからなのでしょう、とても親切で笑顔で😊接してくれました。あの方たちにも、本当に感謝しています。私は体中に心電図をとる道具を貼られ、寝返りを打とうにも打てませんでした。トイレに行くのもままならない状態だったので、尿をとる袋をつけてもらいました。この状態は、私が手術をした時よりも深刻だったのです。私の心臓は苦しくて息が思うようにできませんでした。翌日の朝までそんな状態が続いていたのです。 ~つづく…

数日書いている《オーストラリア―生死の旅》の文章は、しばらくお休みさせていただいて、皆さんの食欲をそそる、美味しい物を皆さんにシェアしたいと思います。

母の誕生日🎂に、特別に母を連れて台北市で一番おいしいmy灶レストランの魯肉飯を食べに来ました。このレストランの名前『嘜走(出ていかないで)』は本当にいい名前です。レストランの料理はすべて昔ながらの味で、ミシュラン推薦のレストラン🍴です。今から料理が出てきますよ!

《オーストラリア―生死の旅ー4》

続き…
以前の文で私がベッドに入ったところまではお伝えしましたね🛏️その後、布団をかぶった途端、私は突然何の予兆もなしに身震いしはじめました。この時私は急に抵抗することができなくなり、ただ彼らの言いなりになるしかありませんでした。私が知らず知らずのうちに、まず考えたのは、愛する息子・智鴻(彼は台湾にいます)にLINEすることでした。この時、台湾時間は夜の6時頃で、私の震える声が愛する息子・智鴻に伝わり、神様のご加護を得られるようにお願いしました🙏その時、彼は私の声が聞こえたことを怪しく思い、彼もまた緊張しはじめました。けれども、遠くの水で近くの火を消すことができないように、彼はどうすればいいのか分かりませんでした。言い終わった後も、私はまた天公様(玉皇大帝様)と神々に助けを求めました🙏この時、私は震えで話すこともできなくなり、心臓もほぼ止まりかけていました。もうまく息ができなくなっていたので、ずっとここで死にたくないと思っていました。この時、私は意識がはっきりしなくなっており、つらいつらいつらいと言っている時に、ベッド🛏️を一つ隔てた場所で寝ていた愛する主人が突然私の声を聞きつけました。まるで彼を呼ぶ声があるかのようでした。もし、この声が彼を呼んでいなければ、もしいつも彼と眠る習慣がなければ、彼を呼び起こすことはできなかったかもしれません。幸いにも、愛する主人が起き上がってくれました、感謝します🙏神様が私の救いの声を聞き届けてくれたのでしょう。この時の状況は本当に本当に火急で、これは誰にも想像つかないことだと思います。正直にいうと、あと5分遅ければ、私はオーストラリアで命を落としていたかもしれません。主人はベッドから起きた時に私の様子を見て、死ぬほどびっくりしました。彼が後に語ったことによれば、私の顔色は紫に、唇は黒くなっていたそうです。私たちが夫婦になってもう21年になりますが、これまで私のこんな様子を見たことがなかったそうです。私が大きな手術で集中治療室から出てきた時も含めて、私のひどい様子を初めて見ました。この時は彼はこの上なく驚き慌てて、ガイドさんに連絡しようとしましたが、オーストラリアの国番号をどうやって打てばいいのか忘れていました。彼は私を招待してくれた張さん(蘭姉さん)が隣に泊まっていたことに気付き、急いで蘭姉さんに知らせに行きました。ちょうど蘭姉さん一行はスーパーの買い物から帰って来たばかりで、私の様子を見ると彼女も驚いて、急いでガイドさんを呼びに行ってくれました。ガイドさんが私のために夜食として買ってきたものを持っていかれました。本当に申し訳ありませんでした!加え て、感謝いたします🙏蘭姉さんとガイドさんのおかげです。みんなは言葉が通じなかったので、ガイドさんが来てくれた時もすぐに救急車を呼んでくれたので、救急車もすぐに来てくれて、みんなで慌てて私を担架に乗せてくれたのです…続く…

《オーストラリア生死の旅-3》
つづき⋯⋯
お経を唱えませんでしたし、回向もしませんでした、また冤情者(好兄弟)に挨拶もしなかったことが原因で、自分自身を苦しめる結果になりました。私たち一行は9月8日(旧暦7月29日)の朝9時にブリスベン空港に到着しました。飛行機✈️を降りてから、私はまた正常に戻りました。ただ昨日の晩一睡もしていないので、ちょっと疲れていました。私は皆と一緒にいろいろな観光地へ行き、見学したり風景を見たりし、オーストラリア時間の夜(7時前後)まで楽しみ、晩ご飯を食べた後皆疲れた体でホテルに戻りました。ホテルの部屋に入ると、翌日はゴールドコーストへ行く予定で、ホテルがかわるので荷物の整理を少ししました。もちろん、ホテルの部屋に入る時は私も主人もノックしてから入り、これは礼儀の行為で、部屋の中にいるなにかしらの霊体(冤情者)に私たちが来たことを知らせ、冤情者(好兄弟)にどうぞ隠れて下さいね!と言いました。アハハ😄私たちの言葉がわからなかったのかもしれません。大変不思議で危険なことが起こりました。部屋に入った後、私は荷物の整理をしていましたが、私の主人は大変疲れていたので先にベット🛏️で休みました。私は飛行機✈️の中で気分(震え、嘔吐)が悪くなったので、私は持参したお札を燃やしコップの水の中に入れてから、まず三口飲み、残ったお札の水で体を拭き清めようと思いましたが、私自身もすごく疲れていたので、先にちょっと横になってから体を拭こうと思いました。この私の考えが自分自身の生命に危機をもたらすとは思いませんでした。時々物事をいい加減にしてはいけませんし、適当に過ごしてもいけません。結果私はお札の水を棚の上に置き、枕の下にお守りのお札を置くのをうっかり忘れてしまい、ベットに横になり掛け布団を自分の体に掛けました。掛けた後⋯⋯つづく

《オーストラリア生死の旅-2》

つづき…

最初、私たち夫婦は期待に胸を膨らませて、今回このオーストラリア旅行に参加しました。けれども、こんな大きなトラブルに自分が巻き込まれてしまうなんて、親愛なる主人や皆さんに対して本当に申し訳ありません!

私が飛行機で、「席が狭い」と言った時、自分がとんでもないことを言ってしまったことに気付きました。急いでそれを取り消したかったのですが、それもできません。ただ黙ってそこに座るしかありませんでした。なぜなら、その席には私だけでなく、もう一つの無形の霊体がいたのです。飛行機✈が離陸してから水平飛行になった時、私の体は突然寒さを感じて震えが止まらなくなりました。スチュワーデスさんが食事を運んでくれた時も、突然食欲がなくなり、一口、二口食べただけでした。食事のお盆を下げてもらってからおよそ5分後、私は主人にとても気分が悪く、吐き気がすると言いました。すぐさま私は汚物袋を探し当て、一気にその日に食べたものを全部吐いてしまいました。私は吐いてしまえばもう大丈夫、と思ったのですが、体の寒さと震えはずっと止まらず、毛布を二枚と自分のジャケットを掛けても一向に温かくなりませんでした。いったいどれくらいの間震えていたのでしょう?うつらうつらとしているうちに夜が明けて、やっと震えが治まりました。それでやっとゆっくりと眠 りに入ることができました。でも、着陸まであと2時間しかありません。主人も私のことが心配で、一晩中ろくに眠れていません。本当に主人には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当なら、楽しい旅行の筈なのに、こんなことになってしまうなんて。でも後から考えてみて、私はうっかりしてしまったのです。飛行機✈の席に着く前に、その席にいるご霊体に、席を借りるとひとこと言わなかったのでした。また、お経を唱えてませんし、回向もしませんでした。後から主人が聞いてきたのですが、いつも海外旅行する時に、飛行機の席に着いたらお経を唱えていたのに、なぜ今回はお経を唱えなかったのか。それは、今までに旧暦の7月(鬼月)に旅行をしたことがなかったことと、通常海外旅行や出張をするのは、普通の月にしていたので平穏無事であったこと、今回は旧暦の7月で、しかもそれに加えて夜間の子時(23時~01時)だったため、冤情者たちの活動がとても盛んな時であったこと、また、旧暦の7月は冤情者(好兄弟)の天下でこの時期にはお経を唱えてはいけないことになっているから、と主人に説明 しました。つづく…

もっと恐ろしいことが後に続きます、皆さんどうぞお楽しみに。

《オーストラリア―生死の旅1》

これは私が初めてオーストラリアへ赴き、二日に渡って何度も生死をさまようという経験をしました。最も敬愛する神様と愛する主人がなんとか私を鬼門から連れ戻してくれたおかげで、私は再びこの愛おしい世界に戻ってこられました。ここで皆さんにお会いできる機会を得られたことについて、神様と主人に感謝いたします。これから私はもっと自分の命を大事にしようと思います。今日はここで私が真に経験したこをみなさんにシェアしたいと思います。最も大切なのは、皆さんが命と身近にいる人を大切にしてくれることです。また、皆さんの平穏無事と健康をお祈り申し上げます。

私たちは、9月7日(旧暦7月28日)夜11時の便でオーストラリアのブリスベンへ向かうため、その日の夜、皆で晩ご飯を食べた後、桃園第二ターミナルに集まって飛行機に乗る予定でした✈️その時、私たちはミニバンに乗って桃園へ向かっており、車の中でみんな楽しくおしゃべりしていました😃その時は、私もまだ調子がよくて、飛行機に乗るまで何の異常も感じていませんでした✈️

私の席についてですが、私はここ数年2回大きな手術をしたことがあるため、姉のように親しくしている旅行会社の方が、私のために航空会社と席について調整し、比較的空気の流れが良い場所で、また他の人で込み合っていない席を探してくださったので、私と主人はこの二つの席に座っていました。主人は私の世話をする関係で、私達は前に人がいない席に座っていました。私たちは荷物を収納スペースに入れてから席に座りました。私の体は大柄なので、座った時に一人で「この席はどうしてこんなに狭いのかしら?」とつぶやいていました。その時、私は自分の席が何か物に挟まれているのように感じていました。正直にいうとこれまで何度も飛行機に乗ってきました✈️が、これまでこんな感覚は感じたことがありませんでした。その後はあまり気にせず、主人が私のために座席にあった毛布と枕をどけてくれて、ようやくゆっくり、広々とくつろいでいくのを感じました…続く。

内容が結構長いので、何回かに分けて説明します。皆様、ご了承ください。

今晩(9月7日)の飛行機✈でオーストラリアに向かいます。私たち夫婦にとって、これが最初のアジア以外の国への旅です。ここ何年間はずっとアジアで仕事及び旅行をしていました。期待と興奮に胸を膨らませて、今日出発します。お兄さんのように親しんでいる、張順銘ご夫婦のご招待にとても感謝いたします。私たち夫婦に、また違った生活環境や美しい世界を垣間見る機会を与えて下さってありがとうございます。手助けしてくださいました、雄保旅行社の戴啓珩社長およびその秘書の戴可欣さん、大変ありがとうございました🙏!どうぞ皆様も平安で順調でありますように、ここに祝福申し上げます。どうぞお体が健康でありますように!どうぞ日本をお守りください!どうぞ台湾をお守りください!どうぞ世界中の皆様をお守りください!

《祈願》

今朝北海道でマグニチュード7の地震が発生しました。毎回「地震」を見たり聞いたりするたびに本当にとても恐ろしく感じます。

北海道!は私たち台湾人が一番大好きな旅行先です。今こんなに大きな地震が発生したので、短時間で北海道へ旅行に行く人がいなくなりました。本当に心より皆様が平安で順調でありますよう、お祈り申し上げます。今回の地震で亡くなられた方たち及び怪我をされた方たちに、今回不幸に遭ったとしても、その不幸を吉へと転じることができますよう、お祈り申し上げます。亡くなられた方たちが離苦得楽しますように!西方の極楽浄土に往生できますように!怪我をされた方たちははやくよくなりますように!日本をお守りください!台湾をお守りください!また天の神様が皆様をお守りくださいますように願います。

今日のお昼に日本のニュースを見たのですが、強い台風21号が関西空港や関西地区のあちこちに猛威を振るって浸水を巻き起こし、深刻な状況になっています。その恐ろしい画像を目の当たりにして、とても心配になり、心がとても痛くなりました。でも日本の政府の方々は災害の救済に全力を挙げています。もうすでに70%の浸水が取り除かれました。この20年というもの、私は仕事で日本の各地を訪れることがあるのですが、彼らの工事の進行の速さには目を見張るものがあります。また手を抜いて材料をごまかすことなどありません。私は以前阪神大地震を経験しているので、自分の眼で建物が倒壊する様子を見ています。その時の驚きというのは尋常ではありません。でも日本の人たちの工事過程、例えば高速道路を建てるとか、重要な工事は半年か一年で修復し終わることができます。私は311東日本大震災の津波から一年後に、被害が重い地区の石巻市に入りました。私はそこにお住いの方々が失われたご家族の魂が成仏できるよう、お手伝いに伺いました。その時目にした光景は惨憺たるものでした。でも、日本人の団結力は 大したものです。彼らはどんな災難に遭っても、いつも最も速い速度で処理します。それに比べると、私たち台湾は一つの地区が五日間も浸水したまま、そこの住民は生活が困難に陥っているというのに、私たち国家の人々はどうも皆さんのんびりしています。もっとひどいのは私の故郷である高雄が、道路が水浸しで大小の穴が空いてしまったほどです。この国の上の方々にお聞きしたいです!あなた方は、民の苦は民自身が解決すればよいと思っておられるのですか。民が本当に困難に面しているのをご存知ですか。お願いですから、ただ表向きだけの仕事なんてしないで、真面目に気の毒な民のことを何とかして頂けませんか?昨日ある友達が、私に皮肉った一枚の写真を送ってくれました。でも私はそれを見ても笑うに笑えませんでした。どうか政府の担当者には台湾の人々に福をもたらしてくれますように願います。どうぞあなた方の国民を困苦のさなかに陥れないでくれませんか?「人のなりふりは、天が見ている」と言うではありませんか。ここに台湾と日本、それから世界中の皆様が平安で順調でありますように祝福申し上げます!災い転じて吉となりますように!