Archives 2018

《おめでとう!新しい命の誕生~双子》
おめでとうございます! 数日前、日柄取りの鑑定に私の所に訪れたお客様が、無事帝王切開にて可愛い男女の双子を出産されました~
日柄取り!とても重要です。なぜなら子供の命運を先に知ることができるためです。これは、子供によい命運を与えることと同じことです。最近、多くの若い人たちが帝王切開を選ぶ原因は、一つ目は愛する赤ちゃんによい命運を与えるため、二つ目は痛みを恐れるため、三つ目は赤ちゃんが大きすぎるため、四つ目は難産だったため(これは日柄取りはできません)、五つ目は自身の美を保つためです。上記の原因のうち、4つが日柄取りの鑑定ができる条件と合っています。唯一、難産の場合のみ、日柄取りができません。皆様にわかってもらえることを祈っております!並びに、皆様が無事、順調にかわいい赤ちゃんを産むことができますように、また私のお客様、軒軒さんに、もう一度お祝いの言葉と、無事と健康をお祈り申し上げます!幸せになりますように!

《口福》
前日に、私のいいお友達の采淳(ウェイトリフティングで世界金メダルを取った郭婞淳のお母さん)が台東から私の大好物のパイン釈迦を送って来てくれて、本当に感謝します。🙏とても美味しい果物を送ってくれて非常に感激しています。
昨日は私の従弟の世安が、梨山から蜜林檎を送ってくれました。以前からずっと皆さんからご愛顧いただいて本当に感激です。自分は口福(美味しい物と縁がある)に恵まれた幸せな人だと思います。この場を借りて、采淳と世安が平安で万事順調でありますようにお祈りいたします!お体が健康でありますように!更に、皆様が私と同じように口福に恵まれますように!幸せで喜びに溢れますように!

《オーストラリア―生死の旅11》
つづき…

航空会社のクルーが機体の入り口まで私の車いすを押して行ってくれたので、私はそこでいったん車いすを降りて、座席まで歩いていきました。私たちの座席はエコノミークラスの一列目だったので、2,3歩あるくだけで着きました。オーストラリアに来るときの私たち夫婦の座席は、一列目の両端の位置だったので、同じような思いをしたくなかったので、今回台湾に帰る便では特別に添乗員にお願いして、真ん中の列の座席にして頂きました。(真ん中の列には4つ座席があり、両端には座席が2つでした。)席に着いてから落ち着くと、私は目をつぶって休むことにしました。多分体が弱っていて疲れてしまったのでしょう😭、私はすぐに眠ってしまいました。何日か前からあまりよく眠れていなかったので、すぐに熟睡です。いく日か前に起きたこの重大な出来事のせいで、私の親愛なる夫は精神的に大きなプレッシャーがありました。私は主人の方に頭をもたげていたのですが、呼吸する音が聞こえなくなると、主人は急いで私の鼻息を探ってみます。ああ、良かった!ちゃんと息をしている、びっくりした!となるわけです。ようやくです!自分の故郷に帰れるのは、本当にいいことです!私たちが台湾に着いたのは、朝でした。航空会社も車いすを手配してくれて、ずっと車いすを押してくれたグラウンド・クルーの接客態度もとても良かったです。機会があったら、航空会社側にぜひこの方の良さを提言したいと思います。大事な息子、智鴻が私たち二人の老 人を迎えに来てくれていました。それで無事に家に戻ることが出来ました!家についても、荷物のことはさておき、午後には予約のお客様がいらっしゃるので、先に横になって休むことにしました。旅行に出かける前から予約を頂いていたので、お受けしたからには体が不調でも頑張るしかありません。私は、オフィスの椅子に座って通書(日にちを調べる書)に目を通してみると、なんと、私が大変なことになったその日は「對沖」(自分にとって悪い日)だったのです。それに加えて旧暦の7月29日は鬼門がもうすぐ閉じる時、しかも今年は私は59歳。ちょうど私が厄年の時であり、厄時間でもあります。この一切合切があったから、死神が私に手招きしていたということです。沢山の神様、私の主人、蘭お姉さんや添乗員、主任の先生や弟のような強強、大事な息子の智鴻、このみんなが私を助けてくださったので、本当に良かったです!はは!😄 こんなに沢山の人が助けてくれたおかげで、閻魔大王も私を連れて行くことはできなかったでしょう。天地のあらゆるものに本当に感謝、そして私の貴人(助けてくれる人)にとても感謝します。この方々がいなかったら、今日私はきっとここにはいなかったことでしょう。そしてこうして皆さんに私が経験したことをお話しすることもできなかったでしょう。皆さんの温かいお気遣い、そして祝福とサポートをしていただき、どうもありがとうございました。
今回このような生死を彷徨うような事態、特に鬼門が閉まろうとしているその門の目の前に立ったという事態に及んで、いろんな事を教えられました。例えば、(1)善事を多く行い、功徳を積んで不慮の出来事に備えること。(2)身の回りの自分を愛してくれている人、自分が愛している人を大切にすること。(3)神や鬼を敬い、頑なにならないこと。(4)くれぐれも自分の体を大事にすること。体の健康状態が良くない時は、遠出をしないこと。(5)遠くに出掛ける前に、必ず寺廟に行って神様に平安祈願をすること。(6)もし、自分の磁場や運気があまりよくないと感じたら、できるだけ旧暦の7月に旅行にはいかないようにする。(語弊があったら、ごめんなさい!)もし突発的な状況になった場合、自分一人ではままならないので、出来れば旅行する必要がある時は誰かと一緒に行く。(7)どんなところへ旅行に行っても、平安を保つため常時「オン・マ・ニ・パ・ミ・ホン」(六字大明呪)をどうぞ唱えて下さい。以上が、私の個人的なアドバイスです。今回この「オーストラリア―生死の旅」の記事をお読みいただいて、皆さまどうもありがとうございます!これで私のお話しもお終いです。皆様がどうぞ万事平安で健康でありますようにお祈り申し上げます!
https://www.facebook.com/6735817329779284/videos/2328939077133820

《オーストラリア-生死の旅10》
続き……

前回、私が遭遇したという状況をお伝えしましたが、あの時はあまりにも疲れて体が弱っていて、また加えて旧暦の七月でもあったので、様々な不利な状況下に置かれており、抗うことができませんでした。実は、毎回出国する時には、私は必ず神様にお伺いを立てているのですが、今回の旅行は、神様の「允杯(=神様と対話するための一対の赤い三日月。表面と裏面があり、地面に投げて、面が表と裏になったら、自分の問いは正しいことを表す)」がなく、このような事態が発生するかもしれないことを示しており、神々は私が出国するのを望んでいなかったのです。しかし、今回の旅行については、すでに友人の張兄さんに承諾の返事をしていて、さらに、私たち夫婦もオーストラリアには行ったことがなかったので、私も神様にお伺いを立てたのですが、日取りは他の人が決めたものだったで、これはどうすることもできないことでした。なので、私は神様に許しを請い、ご加護🙏を求めたのですが、神様もしかたなく応じてくれました。私が神様へ ご加護の祈りをささげたおかげで、今回大きな災難に出くわしたものの、災いを幸いに転じることができました。本当に神々のご加護には、とてもとても感謝しています。
今回、私たち夫婦も、私がこんな状況になってしまったせいで、旅程は一日分しかこなせず、最後の一日の台湾に戻って来る前、主人はゴールドコーストで船🚢に乗り、私はオーストラリアのお土産を買っただけになってしましました。私たちを旅行に招待してくれた張兄さんには、本当に申し訳ないことをしました!
その後、空港に着いたら、添乗員の林本堂さんがカウンターに行って車いすを手配してくれ、私をそれに乗せてくれました。私の体はまだ弱っていて、息も苦しかったので、長い道のりは歩けませんでした。そのうえ、空港への道は遠かったので、車いすで動くのは私によって良い方法でした。これも初めて車いすで飛行機✈️に乗るという、本当にどうすることもできない経験でした!この後、私たちは搭乗口に着いたのですが、私が車いすに乗っていたせいで、航空会社のクルーと主人が飛行機✈️の️機体の入り口まで推していってくれたのです。私の心は本当に感動にうちふるえました。続く……。
この後、まだすばらしい結末が待っていますので、どうぞお見逃しなく!

《オーストラリア生死の旅―9》
つづき⋯⋯

前回の文章で、冤情者(好兄弟)たちは旧暦の七月の期間に、因果応報輪廻の交代者をさがしに来る、或いは私たちに助けを求めるとお話ししました。そして、旧暦の七月の最後の日は、身寄りのない霊たちもみなあの世に帰り自分の任務を報告しなければいけません。どうして身寄りのない霊たちがいるのだろう?と皆さんは好奇心で思うかもしれません。実際、時に私たちが知っている身寄りのない霊たちは、川や人が少ない場所にいます。例えば、気持ちが落ち込んで自殺したり事故に遭った人、或いはお腹に胎児がいる時に体に障害があるのがわかり、両親がこの胎児を中絶した場合、これも水子霊の恨みをかいます。この世を去る時、誰も天に導いてくれませんので、身寄りのない霊となってこの世にうろうろしています、実は生前に人に陥れられたり、他殺されたりした、これらの冤情者たちはチャンスが訪れるのを待つ、時期が来たら地獄の閻魔様にお願いすれば、冤情者たちに指令を与え、相手を探し復讐することができます。ですので、輪廻を避けるためにも悪い道を歩かないでください。もし冤情者たちがそう願う場合、冤情者たちはいろいろな方法を探し行動します。冤情者たちの願望が達成した時、この世にいる人が一人冤情者にとりつかれ、体の調子が悪くなったり運が悪くなったりします。この世の人はこのような問題が起きると廟に行って、神様の代言者、高明な先生或いは道士のところに助けを求めます。例えば、指令を持っている、神様の代言者と先生たちは冤情者と会話することができ、冤情者たちの要求を聞くことがで きるので、その時に冤情者たちに適した助けを与えることができます。例えば、成仏させるための法要を行う、或いは神様のそばで修行して求め、円満に功徳を得ることができれば、時期が適した時に生まれ変われます。以上書いた内容は私の経験談です、この文章を皆さんにシェアしたいです。つづく⋯⋯
まだ続きがあります。ご期待を~

《オーストラリア生死の旅-8》

つづき…
前回の文章では私がベッドでお昼寝をしている時まででした。睡眠中にある夢を見たのです。一般的に私たち修行する人は、自分の霊がよく走り出していくことがあります。そこで私たちは睡眠薬や睡眠安定剤などを服用するには適さないのです。私が昼にお札の水を飲んだ後、この夢を見ました。夢の中では私はその時自分がいる部屋🏠の中、その中🏠の場所をはっきりと見ることができます。でも、その時はどこにいるのかよく覚えていないのです。
部屋🏠の入口に一人のよく知らない女性とその他の人が見えました。この人たちの顔はぼんやりとしてはっきりわかりません。ただ覚えているのは、私の前にいる人はある女性で、この女性はむりやり私と他の人たちに入り込もうとしてきます。あの時は本当に緊張しました😓。幸いにも私はその状況を処理する力があったので、抵抗することができたのです。当時私は自分の手に一本の法器(長い柄のついた神様の道具)が突然現れたのを覚えています。法器の上にはお札がありました。そしてこの法器を突然この女性に向けました。私に向かってくる代わりに彼女に出ていくよう叫びました。しかしこの女性はずっといて、私は彼女と対抗し、彼女を建物🏠の屋上に行かせました。
なぜなら、彼女が別の人を傷つけることが怖いからです。屋上で私たちはしばらく対峙して、私は神様にお願いして、神様のまじないの言葉で、彼女にここから離れなければならないと教えました。この功徳が彼女に回向し、私が唱えている途中に、この女性は突然飛んだ後に倒れ落ちて下に去っていきました。その後ちょっと見直しに行ってみたら、彼女の影姿は見当たらず、確実に離れていったことが確認でき、私は安心して部屋🏠の中に入りました。部屋🏠の中に入ると、突然私の愛する夫が私に向かって叫んでいるのが聞こえました。ゆっくり目を開けると、私の目の前に夫が立っているのが見えました。夫は私に、長い間何度も呼び続けたけれど私は目を覚まさずとても心配して、幸いにも私が目を覚ましたので、夫も安心しました。私はゆっくりと起き上がり、夫と外で食事をするため出かけました。あの日はちょうど旧暦の八月初日のお昼、私は悟りとも感じる大きなことに気が付きました。本来は冤情者(好兄弟)たちは旧暦の七月の期間に、因果応報輪廻の交代者をさがしに来る、或いは私たちに助けを求めるということです。
つづく……
まだ続きがありますよ!どうぞ離れないでくださいね…

皆さん、こんにちは! 毎年この日は、しっぽが生える日(お誕生日)なので、自分にはこんなにも沢山のお友達やお客様が支持して頂き、ご愛顧していただいてるのかが身にしみてわかります。それに、私を祝福し、関心を持ってくださっています!皆さんにはとてもとても感激して、感謝しております!
私はただの平凡な人間に過ぎませんが、天から授かった非凡な使命と力を、私は大変感激しています。この一生のうちに皆さまとご縁を結ぶことができ、これからもずっと、生きとし生けるものを助けていくことができますように、皆さまに感謝しております!そして皆さまを愛♥しています!
お祝いのお言葉をいただき、一人一人にお返事するのが難しいので、どうぞ皆様ご了承ください!この場をお借りして、皆さんに「ありがとう🙏!ありがとう🙏!」 と申し上げたいです。どうぞ皆さんが平安で何事も順調でありますように!お体が健康でありますように!幸福と喜びに溢れますように!

皆様こんばんは!本日午後4時過ぎ、台湾鉄道プユマ号が転覆する事故が発生しました。その画面を見るととても苦痛に感じ、しかも全身に鳥肌が立ちました。それほどこの災難はとても深刻なものだったのです。このような災難は一般的に死傷者があるものですが、今現在ですでに亡くなった人が十数名いることが分かっているそうです。まだ現場では負傷者の救出作業が続けられており、私も皆さまの平安と順調を神様にお願い申し上げました!災い転じて福となりますように!負傷者の方々の平安と順調、そして早く回復されますように!往生者の方々が苦しみから解放され、安らぎを得て浄土へ行くことができますよう、西方の極楽世界へ往生することができますように!更に皆様が平安、健康でいられますように!

@@負傷者が多い為、輸血の貯蔵量が不足していることと思います。皆様、どうか袖をまくって献血に参加してください。負傷した方々を助けることも、功徳を得る機会のひとつです!皆様ありがとうございます!

《オーストラリア生死の旅―7》

続き⋯⋯

前回の文章で、私はご飯を全く食べなかったので、私の血糖値は29(オーストラリアの正常値はどのくらいか分かりませんが)まで下がりました。自分の血糖値がこんなに低いのを見て、びっくりしました!私の血糖値は今までこの数字まで下がったことがありませんでした。看護婦さんがすぐに食パンを一食分の量(2枚)・バターを小2パック・イチゴジャムを小2パックと緑色の飲み物を私にくれました。その1杯の緑色の飲み物は何のために飲むのかわからなかったです?体が弱っていたので、写真を撮って皆さんに見せることも忘れてしまいました。😭看護婦さんがそれらを持ってきてくれたので、私はお腹が空きすぎていたかもしれません、すぐに食パンにバターとジャムを塗って食べて、その緑色の飲み物も飲みました。味は少し炭酸水に似ていました。朝食を1人前食べ終わり、自分の体に体力が戻ってきた感じがし、体がだんだんポカポカしてきて、血糖値もすぐに上がり、40以上に跳ね上がりました。そうこうしていると主人と安妮(アニー)さんが病院に来ました。安妮(アニー)さんは美味しい食べ物(ベジタリアンの饅頭、ベジタリアンのインスタントスープご飯⋯)をたくさん持ってきてくれ、私にくれましたが、残念なことに私はあまり食欲がありませんでしたので、彼女に私のためにベジタリアンのインスタントスープご飯を作ってくれるように頼みました。
ここ数日ご飯や温かいスープ🍲を飲んでいなかったので、病人の私にとってはすごく美味しく感じました。私たちは退院の件でお医者さんが来るのを待っていました。この病院のお医者さんたちはみなとても若く、お医者さんが私たちに退院してもいいことを告げると、私はすぐに元気が出てきました。私たちは退院の手続きを待ち、お昼には私は主人と安妮(アニ―)さんといっしょにホテルへ帰ることができました。しっかり歩くことはまだできませんでしたが、主人がずっと私の手を引いて歩いてくれたので、私はゆっくり歩きました。倒れるのがとても怖かったので、主人と手を繋いで私もとても安心できました。主人は私のために、私が息切れするのを恐れ、主人は平地にあるホテルに泊まれるように手配をしてくれました。私たちが泊まった1日目のホテルは坂の上にあり、その時私は本当に歩くと息切れがしました。加えてその晩私は危篤状態に陥ったので、主人はまた私をそのホテルに泊まらすことができませんでした。主人と安妮(アニ―)さんがまだ建設途中のとても新しいアパートホテルを探し、退院した後に二泊するアパートホテルを用意してくれました。私はこのアパートホテルはとても便利だと感じましたし、一番のポイントは設備がすべて新しいことです。ただベット🛏️の高さがちょっと高かったです。私はよく息切れするので、ベットは私にとって比較的重要です。そしてこのホテルの一日目の夜に、私はホテルに帰った後、最初にまず私の宝物である-お札を使い、私は主人にもお札の水を作ってあげました。今回のことで主人は本当にびっくりしたので、お札の水を使った後すぐに私たちはベットで昼寝💤をし、私は主人の呼ぶ声で目が覚めました。続く⋯⋯面白いのは後の方になりますよ!皆さん、もうしばらくお待ちくださいね。

《オーストラリア生死の旅―6》

つづき…

前の文章ではオーストラリアの病院の救急病棟に運び込まれ、その晩は本当に苦しくてよく眠ることができなかったというところまでお話いたしました。私は小さい時から大きくなってもなお本当に病院嫌いだったのですが、有名な権威のあるお医者様や看護師の方と親交を深めるご縁があったばかりに、だんだんと病院を嫌わなくなってきていました。救急病棟でのことに話を戻しますと、私の意識はすでにだんだんとはっきりしてきていて、目が覚めるとオーストラリアの病院が非常に清潔で、しかもみんなとてもしっかりと防護を施しており、少しもいい加減にしていないと感じてました。彼らの病院の中は強烈な薬の臭いはせず、しかも彼らは病人のそばに近寄る度に透明の防護服を身に付 け、とてもよいビニール手袋をはめ、また使い終わった防護服や手袋はすぐに捨てていました。台湾も彼らのように、病人や医療に携わる人をしっかり守り、また、病院は恐い所だと人々に思われないように、つまり病院は薄暗くて陰気な感じをなくし、人々に安心感を与えるようでなくてはなりません。最初の晩は救急病棟で様々な検査を受け、二日目の朝、主人と添乗員さんが病院に訪れてくれました。しかも私が大好きなソーセージを持ってきてくれたのですが、残念なことにまだ具合が悪かった😭せいで少ししか食べることができませんでした。添乗員さんは朝ツアー客をゴールドコーストへ連れて行かなければならなかったので、彼は私たち夫妻の為にガイドさんをもう一人探してきてくれました。アニーさんという私たちと同じ台湾人の方でした。私たち夫妻は、添乗員の林本堂さん、及びガイドの王さん(David)には大変感謝🙏しております。なぜなら非常に優秀で非常に善良で思いやりのあるアニーさんを私たちに紹介して下さったのですから。彼女は翻訳や私たちのお世話を引き受けてくれ、私は彼女に心から感激していました。病気で寝込んでいたときから私たちの飛行機✈️の時間まで、アニーさんはずっと私たちに付き添ってくれていました。そして、私も彼女のことを妹として迎え入れることに決めました。
オーストラリアの病院で二日目となった夜、私は上の階にある個室の病室に移されました。一人で部屋にいるのは本当に寂しかったですが、時折看護師さんが訪れて、お腹は空いていませんか?と尋ねてくれました。彼女たちはみんな笑顔で私に話しかけてくれ、本当に素晴らしく本当に可愛らしいと感じられました。ただ、ここに入院するのは本当に高くて、一晩約2千オーストラリアドル(5万台湾ドルほど)もするのです。では三日間もオーストラリアの病院に入院したら、いったいいくらかかるのか、皆さんは知っていますか?私は3日目には辛抱することができませんでした。なぜなら、彼らの食事は本当に食べ慣れることができなかったのです。朝食はパンとバター、ジャム、そして紅茶でした。昼食、夕食とも牛肉とマッシュポテトと一杯の紅茶で、彼らの出すスープも味が濃くドロドロしすぎていて飲み慣れることができませんでした。白いご飯もなく、私は牛肉を食べないのですから。ですので、食欲がなかったため、血糖値は下がり、私はとても衰弱していました。続く・・・

@@@さらに素晴らしいお話はこの後ですので、どうぞお見逃しなく~