Archives 2017

今日、このような形で文章を投稿させていただいたのは、いくつか感謝の気持ちを表したいからです。みなさんには、いつも温かく見守っていただいて、本当に感謝の気持ちで一杯です。占い師として、本当はSNSで自分のプライベートをあまり載せない方が神秘感が保たれるんですけど、真実に向き合わなければいけないと思うのです。私も一応米麦、穀類を食べて育った凡人の一人です。ですからもちろん体が痛む時だってあります。しかし私が他人より恵まれているところがあるとすれば、それは神の代弁者であることです。何事も神様が守っていただいたお蔭で、私と私の家族とお客様は、平和と順調に包まれる生活ができました。天の神様から授かったこの使命のお蔭で、私はみなさんと結ばれるようになり、本当にこの上なく幸せです。みなさんのお蔭で、私の命はとても豊で幸福に満ち溢れる人生となりました。そして小さい頃からずっと抱いていた夢がありました。それは、たくさんの人々を助けることです。本来ならば10歳くらいでこの世を去るはずの人間が、こうして神様に見守り続けてくれたお蔭で、今はもう60歳近くまで生きています。私は今、肺がんの患者なんですけれど、神様が見守ってくれたお蔭で、前回の手術治療後でかえって更に健康になった気がします。あまりにも元気で、がん患者には見えないとよく言われます。自信がないお客様に会うと、私は私自身を例にしてお客様に励まします。神様以外にも、命の大恩人、榮總病院胸部外科の権威、許文虎先生と、私の姉、保保旅行社の戴啓珩社長に感謝します。二人がよく面倒を見てくれたお蔭で、私はますます健康になりました。人生には様々な不思議があります。心から信じていれば、禍を転じて福と為すというようなことが本当に起こるんです。私の人生には、様々な伝説があり、世の中の喜びや悲しみが入り混じったたくさんの不思議を経験してきました。しかし、誠実な心で神様に崇め始めた時、あらゆる問題がスラスラと自然に解決していきました。今までの過程を思い返すと、本当にいろんな人に助けられてきたと思います。神様、旦那、家族達、子供達、そして愛するみんながいてくれたお蔭で、私はたくさんの愛を感じ、ここまで生きることができました。なので現状に対してとても満足しています。また、愛しい今をもっともっと大切にしていきたいと思いました。息子に私の事業を継がせるため、私は現在彼を占い師として育成している最中です。将来、私たち親子はもっと誠心誠意込めて、いろんな人々の役に立っていきたいと思います。今まで、私は子供達に「慈悲、誠意、謙虛、礼儀、真心、毅力、責任感」を持つように教えてきたつもりです。何事も逃げないで立ち向かっていくからこそ、人生に意味を見出せるのです。友達、お客様に対してもそうです。ですから、私は本当にたくさんの人に助けられて生きてきましたし、親友もたくさんできました。いつも見守っていただいているみなさんに対してとても感謝しています。みなさんのご健康とご多幸をお祈りしております。そして最後にだけ一言!母の日おめでとう!

≪ドラマ「通霊少女」を見終わってからの感想3≫

つづき……

みなさん、おはようございます。小さい頃から、私は予知する霊感を持っておりました。しかし生まれながら持ったこの霊感は、いつもわたしを困らせていました。しかも小さい頃から私の人生の道のりは、あまりにも凸凹すぎて、自分がどの道に向かって歩むべきなのかがわかりませんでした。それから37歳の時に、今の旦那と師匠に出会い、私の人生はガラリと変わりました。たとえ自分は生まれながらの天命を持っていたとしても、それだけではまだ足りないのです。なぜならこういう命格を持った人間は、神様に帰依し、またしばらく修行しないといけないからです。私には修行に背く条件など一切ありませんし、外の世界と隔離し、心を平和な気持ちに保ちながら修行に臨まなければなりませんでした。また五宝(悪霊を払うことに使われる神様の武器:七星劍(しちせいけん)、銅棍(どうこん)、刺球(しっきゅう)、鯊魚劍(さめけん)、月斧(げつふ )を操る訓練など終えた後、師匠からあなたはもう一人前だと告げられたときにやっと卒業証書がもらえたようなものです。私はかつて五宝を二回操ったことがありました。神の代弁者としての仕事は、やはり神聖的なものなんですけれど、自分の口の堅さと拒む性格で、結婚、仕事、健康、金運などを含めて、沢山の遠回りをしてきました。何もかも失った時に、私はやっと白旗を上げました。それからある友人が私をお寺に連れて行き……つづく。
次回をお楽しみに…

≪映画通霊少女を見終わってからの感想2≫

つづき…
「天命」を持つ人とは、実は正直に言って天に借りがあるので、それを返さなければいけません。ドラマの中で、先生が「天命」を誰かに与えるというのは、なかなか容易なことではない、しかもそれはとても光栄なことなんだ、と言っています。だから、「天命」を持っている人は、一定の条件を備えていないといけません。「天命」を持っている人は、慈悲深い心を持っているかどうか、試されます。また、忍耐心、気力の強さ、何事も苦にしない心を持っているかどうかも試されます。こんな特質を備えていなければならず、多くの「天命」を持っている人たちは、だからこそ拒んだり、抵抗したりするんですね。「天命」を持つ人は、実は天から不思議な力を授けられています。でも、それがどういうことなのか、本当に理解できている人は少ないようです。一般的に言って、この不思議な能力を持つ人は、予知能力があったり、「寃親債主」(幽霊)が見える能力があったりします。私たちが、霊と通信する場合、心通、口通、耳通、眼通、鼻通及び腦通の六通りがあります。通霊少女は、幽霊を見ることができ、それと話をすることも出来たので、この中の眼通と口通に通じていたようです。そのドラマの場面を目の当たりにして、私自身の幼い頃を思い出しました。なぜなら、小さい時から、私は他の人の事情が良く分かることができ、また、相手のことを教えてあげることも出来たのです。続く…

≪映画通霊少女を見終わってからの感想1≫
最近、時間があった夜に、映画通霊少女を全部見終わりました。
見終わった後、一種の感動がありました。なぜなら、彼らは私たちが持つ「天命」とは何かをよく表現していたからです。
なぜこの映画がこんなに人気があるのでしょうか?
その原因は、世界とはもともととても神秘的だということを、神様に替わって代言しているからでしょう。
何十年も以前、私は人々から「半仙」あるいは「仙姑」と呼ばれ、心の中で少し気まずさと拒否感を感じていたことを思い出しました。
しかしながら、「天命」を持っている私たちは、重大な責任を身に背負ってこの世に生を受けていて、一度は心理的に拒否感を感じた自分に、神様は様々な事情によってひどい目に遭わせられ、またこらしめられ、ついには自分の運命を受け入れることに反発し続けることに白旗をあげて降参したのです。
そのようにして、私は30年以上もこの波乱の道を歩むことになったのです…続く

今日は珍しく少し時間があって部屋を片付けていたら、バッグの中に私が一番最初に作った名刺を見つけました。本当に全然違う感じがします。それから数年が経ち、敬愛する張さんに出会い、彼女の娘さんに名刺をデザインして頂きました。私は彼女のデザイン、特に自分の写真の部分が大好きでした。その後、私の経歴がたくさんあり過ぎて入りきらないため、今年は新しく名刺を作りました。他の人とはちょっと違った名刺です。ですので今はこの新しい名刺を使っていますが、どの名刺にもいろいろな過程と思いがあります。皆さんにもどの様に違うのか見て頂きたく思い、シェアしようと思います!
https://www.facebook.com/6735817329779284/videos/1629502267077508

山丼‐忠孝延吉店に来ています。
今日の夕食は丼飯です。
とっても美味しいです!どうりで行列がすごい訳ですね~
財布に優しく、味も良い~
丼飯がお好きな方は、お見逃しなく
住所:台北市大安区延吉街114号

今宵は本当に嬉しいです!我が家が一番尊敬する栄総病院の胸腔外科の権威でいらっしゃる、私の主治医の許文虎先生ご一家と一緒にお食事致しました。自分の命の恩人と食事を共にできるなんて素晴らしいことです。これ以上素敵なことがあるでしょうか。それに一緒にお食事すると、毎回とても楽しいのです。今日は更に美しいご長女様も同席されて、しかも今お子さんを身ごもっていて、新しい命がこれから誕生するとのこと、私どももとても嬉しく思います。どうぞご長女様の出産が順調でありますように。命の恩人の許文虎先生ご夫妻がいつまでもご健康でありますように。

《地獄-1》
つづき……
先日私の地獄に関する初体験の文章をシェアしました。そして今日は人生で2回目の地獄に関する体験をシェアしようと思います。今回は夢の中で地獄を見ました。実は私たちの魂って眠っている間に身体を離れていく場合があるのです。みなさん、地獄ってどういうところだと思いますか?私が見た「地獄」とは、実はこの世と同じようなところなんですが、あの世にいる人というのは透明な個体のような魂です。普段、民間の信仰で人々は金紙を燃やして亡くなられた方にお届けするという習慣がありますが、確かに届くのです。例えば紙車や紙人形、様々な宝物などなど…もしも累世の冤情者に対して機嫌を損ねるようなことがございましたら、どうぞご了承くださいませ。みなさんの健康とご多幸をお祈りしております。

《地獄》
以前お客様から聞かれた質問で面白いと思ったことがありました。今日は皆様にシェアしたいと思います。お客様が私に「あなたは地獄を知っていますか?」と質問してきました。多くの方が地獄について興味をお持ちであることは私自身も知っています。今日は私が身をもって体験したことをお話をしたいと想います。私は地獄へ行ったことがあるとお客様に伝えたら、大変驚かれました。一回目の体験は、私が19歳の時手術をした時です。その時の手術で、私は危篤状態におちいりました。手術室に入り、麻酔を打たれましたが、私はハッキリ覚えています。私の体は大きな渦の中に引き込まれ、暗い灰色の壁が並んでいるところに着きました。私は歩き続けて、この世のはてまで行きました。暗い灰色の壁にわずかに小さな空間があるのを見つけました。私がその空間に入ろうとした時に、母方の亡くなったおじいちゃんが突然現れました。おじいちゃんは、私が麻酔から目が醒めるまで私に「早く帰れ」とずっと叫んでいました。それで、私は目が醒めて自分が助かったことを知りました。アハハ!閻魔様は私が可愛かったから、娘として地獄に残したくなかったのでしょうね。つづく

今日は清明節で、ご先祖のお墓をきれいにすることで、私たちの敬意を表す日でもあります。そして私たちにとっても、とても大事な日であります。ずっとこの問題を考えていたのですが、現代の若者は、ごく一部ですが清明節の大切さを忘れてきている人たちがいます。時に、私たちの伝統ある文化が、どんどん省略されてきているように感じてきました。これからは、昔ながらの伝統がどんどん少なくなっていくのでしょうか?本当に心配です!私自身、伝統はやはり維持していかなければいけないと感じます。ご先祖を祭ることは、とても大事なことです。ご先祖は私たちの根でもあります。ご先祖あっての子孫です。時々ニュースを見てみると、ごく一部の若者ですが、親を殺したり、悪事を働いたりして、現代社会での親に対する感情というものが、どんどん薄れていっているような気がします。私たちは、もっと若い人たちに、倫理を教育していかなければいけないのではないでしょうか。現実の生活の中で、ご先祖や両親を敬うことをしていかなければいけません。生活する意義とは、そういうことではないでしょうか。この場を借りて、私の考えを皆さんにお伝えいたしました。どうぞ皆様が幸福で喜びが訪れますように!