「出発」
二日ほど体調が良かったので、私はゆっくりと、愛するオフィスの片付けをしました。この二か月の休養中、私がいない間にはアシスタントたちも敢えて中に入って私の物に触ることは出来なかったので、オフィスの中は混乱を起こしていました。お客様やお友達からの贈り物、私の書類や20年来のお客様の資料と命盤。これらの物で埋め尽くされ、オフィスが小さく感じられる程でした。今ならちょうど整理をする時間があります。月末には仕事を再開するので、自分自身とお客様の為にオフィスをリニューアルしたいと思います。

これは、ひととき自分の中に閉じこもるチャンスととらえ、新たに出発する時には、更に多くの人々の手助けが出来ればと思います。また、お待ちいただいている皆さまに感謝を申し上げます。皆様の平安と喜び、ご健康をお祈りしております!

皆さんお早うございます!昨夜は幸運な事に、家の向かいに出来た「ムーミンカフェ」に入ることが出来ました。毎日店の前に大勢の人が並んでいるのを見て「入ってみたい」と思っていたのですが、息子の智鴻がたった15分並んだだけで、ついに念願が叶いました。
退院してからというもの、私が転んだりすることを恐れて、出かける時は必ず子供がひとり付き添ってくれています。私はとても幸せ者ですね。夫と子供たちに、本当に感謝をしています。
私と息子の智鴻で「ムーミンカフェ」に入ってみると、どうやら私が一番年上のお客のよう。これは新鮮な驚きでした!でも、私だって「年長ムーミンファン」ですからね、アハハ。
たくさんの可愛いぬいぐるみたちと一緒に写真も撮れて本当に楽しかったし、薬の副作用も段々と良くなり、顔中に出来てしまった吹き出物も無くなってとても嬉しいです。栄総病院の陳育名主任と可愛らしい夏盈璇さん、私の顔をきれいにしてくれて、本当にありがとうございました!
暑い日が続き、風邪をひいたり熱中症になる人が増えています。みなさんもどうぞ体調にお気を付け下さい。みなさんの平穏無事と健康をお祈りいたします!
https://www.facebook.com/6735817329779284/videos/1739208022773598

《贈り物》

二日前、日本の仲良しのお友達である石橋さんが、私の大好物の「一蘭ラーメン」と彼が書いた「無量壽」の書の色紙を送ってくれました。石橋さんの変わらぬご厚意にはとても感謝をしています。「一蘭ラーメン」がこんなにも有名で高いことを、姉のように仲良くしている女性が教えてくれるまで知りませんでした。彼女が台北の微風広場(ブリーズセンター)に並んで買った「一蘭ラーメン」は1人4袋までの限定だったそうです。本当にそんなに美味しいの?と私は思っていました。それで、弟のように親しくしている日本の長谷川さんにいくつか買って送ってくれるように頼んだところ、なかなか美味しかったのです。「一蘭ラーメン」の店と即席めんに行列ができるのも無理はないですね、ハハハ!

私は本当に幸せ者だと思います。食べたいものがあれば、いつでも食べることが出来る。皆さんのご厚意にとても感謝しています。石橋さん、美味しいものをありがとうございました。サクランボを送ってくれた、妹のようにかわいがっている佩妤にも、ありがとう。兄の様に敬愛する栄総医院の許文虎主任と奥様は、サクランボと大和酵素を贈ってくれました。本当にありがとうございました!本当に感謝と感激でいっぱいです。

皆様の健康と平安順利をお祈り申し上げます!

《ドラマ「通霊少女」を見終わってからの感想12》

つづき…

卒業式を迎える前に、私たち乩生(神様の代弁者)は、まず一週間「坐禁」をしなければいけません。いわゆる「坐禁」とは、外界と接触を断ち、ある部屋に閉じこもって、野菜や果物だけを食べ、禁欲します。部屋の中で静かに座って修行するのですが、もしきちんと「坐禁」ができていなかった場合、卒業式の当日に五宝を扱う時にトラブルが起きるのです。以前、ある師兄が「坐禁」の修行を徹底して行えなかった者がいて、卒業式に七星剣を扱う時になって、剣が手から滑り落ち、背中に当たって肉をそぎ落としてしまって、血がどくどくと流れ出した光景を見たことあります。乩生であるからには、色んなルールを守らなければいけないのです。善良で誠実であること、それから貪欲であってはいけない。大酒を飲んでは いけない、異性関係を慎むこと、人を陥れてはいけない、賭博をしてはいけないなどなど…自分にある種の能力があるからといって、やりたい放題をしてはいけないのです!これは間違った考え方です。神様を代言する者として、一人一人の乩生には、沢山の試練が課せられるわけです。もし諸々の試練をくぐり抜けることができなければ、乩生は普通の人々よりも苦しい人生を強いられることになります。これは私が個人的に経験したことです。もし不適当なところがありましたら、どうぞお許しくださいね!

…続く

私のよいお友達である、日本人の澤田さんと漆原さん、梅田さん、工藤さんの四名の方たちは、数日前SOGOデパートで多くの芸術品を展示していました。私は偶然に二つの芸術品を見つけ、それらの芸術品が大変気に入り、また彼らを応援したくて、二つの芸術品を買いました。澤田さんは私が抹茶を飲むことが大好きなことを覚えていてくれて、彼も私にいくつかの高級抹茶と高級茶筅をプレゼントしてくれました。本当に大変感謝しております。人と人の間の感情は、本当に奇妙です。大変短い時間でも遠く離れた人とよいお友達になれます。天が手配してくれたことに感謝せずにはいられません。私は休養している間に多くのよいお友達と知り合うことができました。四名の日本人のお友達に大変感謝します。私は彼らがどんなところで彼らの芸術品を展示しても、商売繁盛するよう、多くの貴人(助けてくれる人たち)が現れて彼らの芸術品を気に入って買ってくれることを心から願っております。

皆さんお早うございます!ここ何日間、薬物治療を行っているため、手足に炎症が出て、こちらで文章をアップできないでいました。皆さん、どうぞご了承くださいね!
昨日のお昼、高雄にある私の婚家が、オーガニックのドラゴンフルーツを一箱送って来てくれました。とても綺麗な形をして、味も美味しい。ずっと前から現在手術後に至るまで、毎日のように美味しいものを頂けるということは、本当にありがたいことです。そして、ご愛護下さる皆様にとても感謝しております。皆様に、これからどうやってお返ししていったらいいのでしょう?今は一日も早く恢復するように頑張って、それから皆さんのご愛護にお応えしていきたいと思います。皆さん、どうも有難うございます!皆さんを愛しています!

ドラマ「通霊少女」を見ての感想11

前回からのつづき…

私たち「乩生」(霊媒師)は、卒業試験を受ける時、ひどく緊張してしまうことがあります。私が緊張したのは、試験を受ける前、師兄(男性の先輩)が特別に五宝「1.七星剣、2.銅の棍棒(狼牙棒)、3.月斧、4.サメ歯の剣(骨刀)、5.刺の鋼球」を処理をしてくださったためです。七星剣は鋭く、輝くように磨き上げられ、「これで、剣を落とすことはない」と師兄は言いました。私は師兄が剣を研ぐのを見る度に、足元から寒気が立ち上ってくるのを感じたものです。みなさんもきっと、廟の中で乩生が神様の代弁をする光景をご覧になったことがあるでしょう。私は「文衡聖帝 關聖帝君」の乩生なので、緑色の衣装を準備しました。十年以上も着ておらず、血の跡もついているのでしまい込んだままですが、機会があればみなさんに写真をお見せしましょう。自分が神の代弁者になるのはとても意味があると、時々思います… つづく

「石の獅子」

今日偶然通りかかった廟で見かけた二基の「石の獅子」は、一基は口を開け、一基は口を閉じていることに気付きました。一般的に宮廟の外に置かれている石の獅子は口を閉じていて、台湾では一基が口を開け、一基が閉じているものはあまり見かけません。私の主人はいたずらっぽい口調で言いました。「この石の獅子の意味を賭けてみようか。信じられるかい?一方の獅子がつまらなそうな表情をしている。もう一方の獅子はとても嬉しそうだ。彼らはちょっと酒を飲んだんだよ、はは!」「それは面白いアイデアね」そして私は主人に、こう説明しました。

あの二基の石の獅子は、一基がオスでもう一基はメスなの。青龍(左)側がオスで、白虎(右)側のはメス。それから、口を開いているのはオス、閉じているのがメスよ。彼らの表情には意味があって、口を開いているオスの獅子は威厳があって、睨みをきかせている。口を閉じているメスの獅子は従順さや、夫に仕え子を育てることを表しているのよ。一般的なメスの獅子は赤ちゃん獅子を抱いているでしょう。

どうして一般的な宮廟や一部の大企業が石の獅子を表に置くと思う?彼らは財を招き、邪気を払う効果があるの。でも、風水の原理では、一般家庭にはあまり向いていません。石の獅子を置くことで他人や自分自身を傷つけてしまうこともあるので、十分注意をすることが必要です。皆様の平穏無事をお祈りしております。

《ドラマ「通靈少女」を見終わってからの感想10》

前回からの続き…

初めて占いのテーブルに座った時を思い返すと、あれは本当に特別な経験でした。通常お寺に入った時に一番最初にすることは、線香を立てることです。そして神様に自分の名前の生年月日、住所、願い事を報告します。それから乩生(神様の代弁者)の隣で神様からお示しを頂くために、自分の聞きたいことを話します。こういう神様に答えを求める儀式を中国語で「問事」といいます。一名の乩生(神様の代弁者)につき、一名の桌頭(神様の意志解釈者)がつきます。奇妙な事に、桌頭の方から信者の名前、そしてどんなことを聞きたいのかを聞かれたとたん、私の体はすぐに神様にとりつかれ、私が求めようと思っていた質問の答えを、私の口から言ってしまいました。それから桌頭 の方が通訳をするのです。もしも信者が困った時や助けを必要とした時は、神様も同じくお札を書きます。私がまだ乩生になる前に、先輩たちも同じようなことをしてくれました。こういうやり方を信じない人も恐らくいるかもしれません。だけども善の心を持っていれば、神様から頂いたお札はとても効果があります。効果があり過ぎて信じざるを得ません。古来より現在まで続いてきた状況はみんな同じです。私たちのお寺の中で、師匠が育てた乩生は約百人から二百人くらいいます。ですから私たちのお寺はまさしく乩生を育てる専門学校みたいなものです。あるレベルまで達すると、テストがあります。また「卒業証書」を受け取らなければなりません。これらのすべての段階を終えると、やっと一人前の「 神の代弁者」になれるのです。…つづく。

この二日間の中で、突然ある友達からこんな質問をされました。「先生!先生は将来どんな婿を探したいですか?」これは良い質問ですね。子供達はみんな今のところ未婚ですので、私は即座に友達の質問にこう答えました。「子供達の考え方はわからないけど、私自身の願いとして、経済はともかく、本気で娘のことを大事にする婿であってほしいです。もちろん基本的な家庭生活を支えられる人でないといけません。必ずしもハンサムじゃなきゃいけないというわけではないですけれど、見た目の印象が良ければそれで良いです。私の要求はただそれだけで十分なのです。娘に優しく、そして娘に関係のあるすべての人を愛せる人であれば、もうありがたいです。仕事の関係で、私はずっ と結婚相手というのは運命で定められていると信じています。縁の流れに身を任せばよいのです。誰と一緒に食事をするのかさえもすでに決まめられているのです。ですので、あまりにも理想的な相手を求めすぎていては、一生に一回の大切な出来事を見逃してしまう可能性があります。今の若者は「三高」が一番理想的だと思っているみたいです。高学歴高収入高身長、そしてイケメン。たとえこれらの条件をすべて満たした相手を探すことができたとしても、本当に円満な状態に達することができるでしょうか。中国語の諺で、「千里姻緣一線牽」という言葉があります。「縁のある男女の仲は、たとえいくら遠くに離れていても、結ばれる運命になっている。」ということを意味します。たとえあなたがどこに いても、縁が来たら自然と運命の相手と巡り合えます。独身の方々が良い伴侶に巡り会えますよう、幸せになりますよう、心からお祈り申し上げます。

以上はあくまで私自身の考え方で、子供達の考え方ではありません。もしも何か至らない点がありましたら申し訳ございません(笑)どうぞみなさんよろしくお願い致します。