🙏《メディアの取材と報道》🙏
本当に感謝いたします🙏!感謝してもしきれないほどの感謝です🙏!
ここ20年来、日本の皆様からのご支持とご愛顧を受けてきました!さらに日本のメディアの方からのご愛顧、毎年発行のガイド本や流行雑誌など途切れることなく「日月命理館、魏嘉誾先生」を紹介してくださり、彼らはコロナ禍でも関係なく私共を見捨てることはありませんでした。本当に感動と感謝です!
ある日本の有名な雑誌編集をされている方が私にお話しされました。日本の雑誌の掲載されている多くの人は登録の期間が短くて記事がなくなってしまうのですが、私の記事はどんどん増えているというのです。彼女は私に、この理由の鍵は何かと尋ねました。
私の答えは: 「お一人のお客様は自分の家族のようになります。私はできるかぎりの力でみなさんを助けたり、みなさんが嫌な思いをされないよう、私の仕事と評判を大切にすること、一歩一歩自分の能力を高めていることなどがその理由ではないかということです」。
おそらくこれらの理由から、私は心から愛することとあきらめない精神があります。それが今日の私があるということでしょう!
ここに私も大きな感謝をいたします🙏!日月命理館にご相談に来られるみなさまに、この先も迷いの苦しみからみなさまをお助けする努力をいたします。さらにみなさまが神様と私の助けを得られますことを希望いたします。みなさまが平穏で順調でありますように!
災い転じて福となりますように!またみなさまのすべての願いが叶いますことを祝福いたします!
日月命理館 魏嘉誾先生
https://crea.bunshun.jp/articles/-/39814

《命理·風水-亡くなった方の遺した物》
確か4、5年前の朝のことだったと思います。お客様が1人、私のところへ鑑定に訪れました。彼女は七十歲くらいのお母様で、親孝行な娘さんが私の館内へと連れて来てくださいました。彼女が席に座り、私は彼女の面相を鑑定しました。私はすぐに彼女に、陰が強過ぎることを伝えました。彼女の命盤を割り出しているのを待っている間、彼女は私のアシスタントに、彼女の体の具合について話していました。彼女はお医者さんに診てもらったにもかかわらず、お医者さんは体にはどこも問題ないという判断でした。しかし、おかしなことに彼女は毎日異なる状況が発生するのです。
そして彼女の娘さんが私の娘である延延と同僚だったこともあり、延延からの説明を聞き、彼女の娘さんは私のところで見てもらったらどうかと思いついたのだそうです。彼女は私の館内に入り、私が彼女に結果を話しました。すると、彼女はゆっくりと話し始めました。じつは、彼女の旦那さんは、服などの他の人がいらない物を持ち帰ることが好きで、それを着ていたりしていたのでした。中には、亡くなった方のいらなくなった衣服もたくさんあったようです。その中には亡くなった親戚の物もあったらしく、その結果彼女の旦那さんはその親戚の服を着るたびに奥さんである彼女の体の具合が悪くなったのでした。しかも、その親戚は彼女の夢の中に現れて服を取り返そうとしたのに、旦那さんは亡くなった方の遺した物を返すことはなかったために、彼女の精神は本当に磨耗させられ、体にも立て続けにさまざまな症状が現れていたのでした。
ここまでの話を聞いて、皆さんは、どんなに高価な物であっても、道端に捨てられていた物であっても、皆さんはそれがいったいどこからきた物なのか全くわからないので、不必要なトラブルを引き起こさないためにも、絶対に適当に持ち帰ってはならないことがわかったことでしょう。しかも、体の健康や運気にも影響が及んでしまうのです。
自分の平穏のためにも、くれぐれも覚えておいてください!自分の家族のもの以外は、絶対に他の人のいらない物を持ち帰らない方が安心でしょう~この場で皆様の平安と健康を祝福いたします!
日月命理館. 魏嘉誾老師
2023年4月26日

《 忙しい 》
本当にすみません!たくさんの友人たちが、いつまた文章を書くのですかと私に聞いてきます。ハハ😄!私の文章を気に入って読んでくださる友人たちがこんなにいるなんて、思ってもいませんでした。皆さんどうぞ、もし私の文章を見たら、いいね👍をたくさん押してくださいね!皆さんのいいねを見たら、私も頑張って書こうとする気になれます。ただ、今のところ苦笑いしかできません!誰かが私に代わって文章を書いてくれる訳にはいかないので、一人で頑張るしかありません!書く時間さえあればいいのですが、まずは皆さんの温かいご愛顧に感謝🙏申し上げます!
最近本当にたくさんのことで忙しいです!お客様のことや、自分の仕事、また時には主人の仕事のことまであります。実は、20年近く投資している副業(足裏マッサージ店)があって、それも忙しいです!この他にも、家庭内のこともあります!毎日目が覚めると、体の動きが止まりません!忙しさが止まりません!皆さん恐らくこんな忙しさを想像できないでしょう!時々本当に手を止めて休みたいと思いますし、自分をこんなに忙しくさせたくはないのですが、難しいです!本当に難しい!
私は完ぺき主義なので、自分の占いと風水の仕事も、スタッフが書いたお客様に渡す資料も、もう一度自分で目を通さないと気が済まないのです。責任もってお客様に正確なお答ができるよう、いつも私が目を通してからでないとお渡しできません。そうすればお客様の方も、安心してお受け取りできると思います。
最近自分のホームページを見たら、どうも古くなってきた感じがします。20年ほどかけて集めた、私の開運クリスタルやパワーストーンをあらためてご紹介するために、今その内容もまとめているところです。さらにもっと多くのお客様に、良いパワーと運気を受け取って頂けるように、いま正に新しいホームページを立ち上げる予定です。その準備も沢山ありますが、斬新できれいなホームページがお届けできるよう、「日月命理館」がより多くの人の目に留まりますよう期待しております。
どうぞ皆さんが平安で何事も順調でありますように!健康でありますように!幸福でハッピーでありますように!
日月命理館 魏嘉誾先生
2023/04/19

《年の瀬、車の災難-3》
続きです⋯⋯
病院で苦難の一晩を過ごし、息子の智鴻に車椅子を押してもらいながら検査を受けました。それは本当に苦痛なもので、過ぎゆく年月は私のことを許してはくれないと感じました!検査では幸いなことに骨にはケガをしておらず、心の中に居座っていた大きな石をやっと降ろすかのようにほっとしました。そして智鴻は私を家に送り届けてくれました。車でぶつかった衝撃が実に大きかったために、顔と鼻👃、そして膝も腫れて内出血を起こしていました。智鴻は患部を冷やすための氷の袋を2つ作ってくれ、私にくれました。子供達の優しさは、病気になった時に特にしみじみと感じます。我が家のスペシャル看護師は仕事があったために私のそばにはいられませんでしたが、彼女たちもよく弟と連絡を取り合っていて、私は心の中でとても慰められました。こんなにもいい子で物事をよく理解している子供達を私に賜ってくれて、神様には本当に感謝🙏します。この日は本当に混乱🤪と焦りや緊張の中で過ごしました!
次の日、私は先生に電話をしました。先生はすでに82歳で、私は自分のケガの状況を先生に話しました。なぜなら先生はその日(1月18日の私がケガをした日)は、朝に台中から台北へ私に会いにきていました。なぜなら、このように長い時間、私は以前から夜にお客様の命盤を割り出したり、姓名学や図面から風水を行ったりなどの仕事で比較的忙しくなるからです。それは、私が夜の方が感覚が鋭くなり、さらに夜は静かで誰にも邪魔されることもないからです。ですので、朝起きる時間になかなか起きずにのんびりしてしまいます、ハハ😄!すみません!どうか皆さん、私のことを笑わないでくださいね!ケガをした日の朝は、私がなかなか起きなかったために、先生は応接室で私を待っててくださっていました、ハハ😄!先生のご理解には、とても感謝🙏しています!当時、私はアシスタントに、先に先生をお招きして対応してくれるように頼みました。私は急いで支度をし、応接室へ行って先生にお会いしました。私が部屋に入って先生に会った時、私は先生に挨拶するために主人を呼びました。先生は私に、さっき私の主人が神棚の部屋に入るのを見た、と言いました。しかし実際は、私の主人はまだ応接室には来ていないのです!私は心の中で、もしかしたら先生は見間違えたのではないか?と思いました。先生は台湾語で「ああ!彼が出てきたのを見てしまったな」と、2回言いました。私は、先生の言葉をそれほど気に留めませんでした。そして私の主人が先生に挨拶するために部屋に入ってきた時、先生は主人に、「私はさっき私はあなたが部屋から出て行くのを見ました」と言いました。私と主人は顔を見合わせました。いったい先生が見たというのは、誰のことなのでしょう?
時間はお昼に近くなり、先生はそろそろ台中に帰ると私に言いました。私は智鴻に車🚗で、駅まで送るようにと頼みました。私もその時、ぼんやりしていて、しっかりしていなかったようにも感じます!そこ2日間、私はずっとなぜか動悸がして、何かが起こるのではないか?と感じていました。私の家族の中には私自身を含め何人か厄年がいましたし、私は何事にもとても気をつけて日々を過ごしていました。皆様もご存知の通り、私は占いという仕事に従事していますので、お客様の業に触れるとこは避けることができません。知らないうちにいくらかの困難な状況に陥ってしまったりもあります。しかし、私はそれをずっと恐れることなく過ごしてきました。それは、私が正しいことをしていると信じ、このような業を恐れることはないと思っているからです。私はこの何十年間、私の家族も含めて、私は自分や他の人に福となることを作り出さなくてはいけなかったため、災い転じて福となしてきました!そして次の日、先生は私に言ったので。あの時先生が見たのは誰だったのかというと⋯⋯続きます。
♦️まだこれから素晴らしいお話が続きますので、どうぞご期待ください⋯⋯
日月命理館 . 魏嘉誾

年の瀬.車の災難-2》
続きです⋯⋯
最近になって国家間の交流がオープンになり、お客様のご訪問が増え、仕事がとても忙しくなってきました!本当に申し訳ありません!毎回文章を書こう✍️とすると、瞼が言うことを聞かなくなってくっついてしまいます!この2日間の仕事の時間の合間に、文章を書こうと思います!
前回の文章の中で、私はシートベルトをしていない状態で事故にあってしまったと申し上げました。本当に悪い子でした。さらに、環状道路でカーブした時に、一台の車が突然横から入ろうとしてきたのです。後からわかった事ですが、その車を運転していた人は帰国したばかりで、どのように走ったら良いのかあまりわかっておらず、また子供を迎えに行くところだったために比較的スピードも出していたのでした。私が乗っていたタクシー🚕の運転手も少しスピードを出していましたので、私が乗っていたタクシーはその車を避けるために突然急ブレーキを踏んだのです。そのため私は即座に反応することができず、右後ろの席から左前の運転席の座席の後ろに顔の左側、額および手足をぶつけてしまいました。ぶつかったその瞬間、その衝撃の大きさに天と地がひっくり返ったかのようでした!気がついた時には私は全身の力が入らず、椅子の上に横たわっていました。私はすぐに一番近くにいるの妹と息子の智鴻と主人に電話しました。タクシーの運転手さんが降りてきて、私に怪我がないかどうかと聞きました。私も彼も同時に驚いていたため、そのタクシー🚕の運転手も律儀な方で、私は自分の鼻から血が🩸出ていると言いました。私は、自分が鼻骨を骨折していないか、また脳震盪を起こしていないか心配しました。なぜならその時、私は左目の下に内出血を起こしており、鼻も腫れて来ていたからです。さらに、私は癌にかかったことがあったため、運転手にすぐに救急車🚑を呼ぶようにお願いしました。そして、救急車は私を国泰病院の救急処置室へと運び込みました。
実際、救急車の中で横になっている時、私は少し混乱していたため、救急処置室に入って一連の問診の受け答えや一連の検査には、本当に疲労困憊してしまいました。幸いなことに、検査の結果、鼻骨に怪我はなく、脳震盪も起こしていませんでした。鼻の粘膜に傷があることと、手足をぶつけたために内出血を起こしていました。骨に異常がなかったというだけでも、私は心の中の大きな石がずっとなくなるような気持ちになりました⋯⋯次に続きます。
♦️さらに驚愕の内容は、どうぞ次をご覧下さい…
日月命理館
魏嘉誾

《年の瀬、車の災難-1》
今年の旧正月が終わってすぐですが、この旧正月は私にとってとてもつらいものでした。しかし、体の調子を養うためには良い時間でもありました。それはなぜでしょうか?旧正月前の2023年1月18日の夜のことです。それは、私にとってとても忘れられない瞬間でした。なぜなら、私は車の事故にあったからです!しかも救急車🚑に乗って病院に運ばれました。また台北では初めて救急車に乗ったのですが、その瞬間は本当に恐ろしかったです😱!
その夜は、仲良しの淑惠さんと一緒に欣葉レストランで夕食を食べに行ったことをよく覚えています。食事を食べていた時、3番目の妹の小珍さんが私の店である足ツボマッサージ店で働いていることを思い出し、彼女も苦労していることを思い、何か美味しいものを彼女に送ろうと思いました。私は携帯で3番目の妹に電話をし、ここで食事を終えたら、車に乗って彼女のいるところへ行くと話しました。彼女は、「わかりました」と言いました。そして私は親友と少しおしゃべりした後、お会計を済ませてレストランを出ました。私はレストランの下でタクシーを呼び、通化街へ向かいました。行き早く何事もなく順調でした。タクシー🚕を降り、持っていた食べ物を3番目の妹に渡して、私も自分の荷物を下ろし、2、3分ほど座りました。妹は、私がそこにいるのを見るとすぐにここを離れるようにと言いました。なぜなら、何人ものマッサージ師が風邪を引いていたからでした😷!私はワクチンを打っていなかったですし、風邪に感染することを恐れていましたし、また私の体質よあまり良くなかったため、私は急いで店を出ることにしました。
店を出て通化街で臨時的に一台のタクシー🚕を呼び停め、
タクシーに乗り込むと運転手さんに目的地を伝えました。本来ならいつも決まって手配しているタクシー🚗がいるのですが、急なことでしたので外の道路で適当なタクシーを拾ったのでした。私が座席に座ると運転手さんはゆっくりと車を走らせました。私の家に向かう帰り道の路線は、通化街から安和路を通ることは必須で、さらに仁愛路の環状道路を通り、右に曲がって大安路へ行くと私の家に着きます。家までの道のりは短いはずだったのですが、長いように感じました。通化街を通っている時から私は動悸がするのをずっと感じていました。何か起こるような予感がしたのです。さらに、私の習慣が良くなく👎、シートベルトをしていなかったのです⋯⋯次に続きます。
日月命理館
魏嘉誾先生