先生の文章

《 社會問題 1 》

昨日、テレビのニュースで見たのですが、ある悲しみに崩れた、偉大なお母さんがとても冷静な態度で、自分は一人子供を犠牲にされたけれども、同じようなことがまた起こらないことを願うと言っていました。その方は、事件の重大性を皆さんに知ってもらいたい、と願っていました。子供の誕生というのは、親にとってかけがえのない喜びです。子供の成長過程というのは、父母が心を砕いて一緒に歩んでいかなければいけません。。現代は少子化で、多くの親たちは子供を甘やかし、出来る限りの良い環境を与えようとします。でも、最も重要である「教育」をおろそかにしがちです。今の父母たちは、仕事などが忙しくてなか なか子供と一緒にいる時間がありません。そのような子供たちは、幼稚園や放課後児童クラブなどに送られていくか、祖父母に託されることもあります。一見、子供たちは元気そうにしていますが、実際はどうでしょう?彼等の小さな心はきっと寂しいはずです。なぜなら、親が傍にいて色々教えてあげることが出来ないからです。個人的には、「言葉で教えるよりも、身をもって教える」事がとても大事だと思っています。人より良い成績なんて取らなくてもいいのです。私たち親というものは、自ら礼儀や道理の手本でなければいけません。父母が身をもってお手本を見せるのです。そして、「溺愛」という二文字を封印することです。子供は、心で可愛がるのであって、言葉で可愛がるのではありません。子供 が幼くして間違った事をしたら、厳しく罰するべきです。その後で、また事の道理を話して聞かせるのです。子供たちに、自分が犯した間違いを理解させるのです。そうすることで、徐々に子供たちを正しい道へと導いていくことが出来ます。…続く

昨晩、オフィスでお客様の命盤を書いているときに、ふと私の60年の人生、また命理の世界の中で、私は何をしてきたのだろうか、と思い付きました。
過去のいろいろなことが脳裏に浮かんできます。前半生の日々は道のりが平坦ではなく、また不遇で辛く、記憶を断ち切ってもう思い出したくないのですが、現在の日々については、私は皆さんからの愛を受け、また私のことを受け入れてくれていると感じていますのでとても満足しています。
この20年来、ずっと一生懸命この地位へと這い登って来ましたが、
この小さな達成感をとても大切に思っています。その過程の中では多くの苦労や挫折もありましたが、ときどき、人生はあとどのくらいあるのだろうかと考えると、それさえも甘い飴の様に感じます。昨日の夜はとても感慨深く、思い返していました。
ふと自分はもう白髪の多い老人であることを知り、若い頃から現在まで、
引き出しや箱いっぱいのお客様の命盤を見て、日々が過ぎるのは本当に速いものだと驚いています。最初の十年ほどのお客様の命盤の資料は残しておらず、自分でもとても後悔しています。なぜなら、そのような資料はとても貴重だからです。仕事を始めて十年ほど過ぎてから、お客様の資料作りを始めたので、こんなにたくさんの資料を見ると、この20年の青春の中に空白はなかったと思い、またそれが私の宿命なのだと感じました!
私は私の仕事が本当に本当に大好きなので、この仕事を自分の命よりも大事だと思っています。助けを必要としているもっと多くの人を助けるために、どうか私にもっと時間をください、と神様にお願いしたいです。
また、私を年老いてもさらに上の階層へ上らせてくれる、私のことを肯定してくださる皆様の支持や皆様の愛に感謝します。
またこの不安定な世界の中で日月命理館及び魏嘉誾である私が、
皆様に幸せをお送りできますように!皆さん、ありがとうございます!
皆様のことを愛しています!
「皆様に資料の写真を少しだけシェアしたいと思います。お客様のプライバシー保護のため、一部だけですが、どうぞお許し下さい!」

桜の季節

ここ二日、弟のように慕っている哲也さんが、日本から綺麗な写真を二枚送ってくれました。一枚は東京タワーの写真、もう一枚は桜の花の写真でした。その写真を見て、もう三月末なんだと、はっと気がつきました。そうです、日本では桜が満開の時期。仕事の忙しさにかまけて、時が経つのも忘れてしまいました。本当ならば、毎年この時期は、仕事がてら桜のお花見もかねて、日本に出向いていました。去年の暮れからずっと忙しくて、月日が経つ早さを忘れてしまいました。仕方がないので、年末頃に日本に行って紅葉を見に行くことにしましょう。少々がっかりしていますが、でもこの綺麗な桜と東京タワーの写真を見て、割に満足しています。ここで皆さんにもお写真を披露しますね。哲也さんには感謝、感謝です!皆さんもどうぞお写真をご覧になって、日本の風景を楽しんでみてください。皆さんがどうぞ幸せで喜びで満ちていますように!

《命理·風水-友情18》

人間誰しも、生まれてからまず最初に「親情」(親心)と出会います。だんだんと大きくなって、学校へ行き、社会に出て仕事をしていくうちに、いろいろな人と接触を持ちます。それからだんだんと、周りの人たちに好意を持つと、それが「友情」となっていきます。友情にも、自分にとって良い「益友情」と、自分にとって悪い「損友情」とがあります。人の一生の中で、「友情」はとても重要な役割を持っています。それは、良い「友情」であれば、それはそのまま「貴人」(助けてくれる人)となります。如何なる時も、如何なる場所でも、私たちは「友情」を必要とします。人、それは群れから離れることはできないものです。また、「友情」からくる助けがなければ、人は皆「 孤独」となってしまいます。時には、「友情」は「親情」(親心)よりも温かく感じることがあります。自分が何かに悩んでいたり、トラブルに巻き込まれたりすると、まず真っ先に「友情」が助け舟を出してくれるものです。たとえ火の中水の中、温かい励ましや助けを与えてくれます。これこそが「益友情」で、とてもありがたいものです。でも、時には友情がおかしな方向へ行ってしまうこともあります。自分に良くないことやしてはいけないようなことをするように言ったり、最後には自分をほったらかして、どこかへ行ってしまったり、死ぬようなことがあっても知らぬふりをしたり、それが「損友情」というものです。人生の道のりにおいて、皆さん「友情」に対しては、用心深くしてください。もし、 良い「友情」に出会えたのなら、それは祝福すべきことで、そのご縁を大切にしてください。もし、皆さんが「損友情」と出会ってしまったら、自身の生活を平和で安らかに、喜びを保つためにも、なるべくあまり関わらないようにしましょう。皆さんが幸福で喜びに満たされますよう、平穏無事でありますよう、祝福いたします!

《命理·風水17-親情》

「親情」!これは自分の身の回り(両親、兄弟姉妹、旦那や妻、子供など)にいる全ての身内への感情です。
まず「孝順」についてお話したいと思います。「孝順」の意味は、両親を気にかけ、両親の世話をし、両親によく従うことです。
昔から「孝順」は人としての第一の基本と言われています。
もし「孝順」がなければ、外界でどんな人と一緒になろうと、心の中には必ず支障となる一面が存在し、しかも運勢は長くは続きません。
昔から俗に「孝は百行の本」つまり、孝行はすべての善行の基本である、といわれてきました。そして「兄友弟恭、姉妹情深」、兄は弟に優しく、弟は兄を敬い、姉妹はお互い思いやるようにと教えられてきました。だからみんな仲良く、社会は平和だったのです。しかしいつ頃からなのか、現代社会の「親情」はだんだんと薄くなってきており、ニュースの報道もネガティブなニュースばかりで、本当に社会は何故こんな風になってしまったのかという感じです。
どんどん恐ろしいものになっていく社会は、病気ではないでしょうか?
私は前からずっと、「親情」についての文章を書き、皆さんと一緒にシェアして、一緒に学び、現代の教育方法を変えていくべきではないかと考えていました。
なぜなら、以前の私たちは叩いたり叱ったりして子供を「孝行な子」にしていました。
しかし現代の親たちは少数しか子供を生まないために、沢山の寵愛をその一身に集中させてしまいます。このような教育方法は、子供を成長させられなくするだけでなく、親の苦労もまったく理解することができなくなってしまいます。
「親情」の意義はこのように失われていき、どんどんと子供たちはどのように親に孝行するか分からなくなってしまうのです。
実のところ、親たちは一生懸命に仕事をし、子供たちに読書をさせたり、習い事をさせたりしています。子供たちは、あらゆる習い事を身に付けているにも関わらず、「惜福(幸せに感謝すること)」、「惜縁(縁を大事にすること)」を身に付けていないのです。
子供たちがこの言葉の意味を理解できれば、自然と兄弟姉妹の情を大事にし、将来家族となった人との縁を大事にするようになります。
もし「親情」に「惜福(幸せに感謝すること)」、「惜縁(縁を大事にすること)」が加われば「親情」は受け継がれ、社会も平和で幸せになると私は信じています。なぜなら、「親情」はとても大切だからです。私たちが外で何かあったときに、「親情」はいつでも私たちを支えてくれる力なのです。皆さんがそれぞれのご自分の「親情」を大切にしてくれますように。私自身も皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。どうぞ皆さんが平和で安らかに、幸福でありますように!

《命理·風水16-愛情》

「愛情」!それは二人の男女がお互いに愛し合うという意味ですが、愛情とは?恋情、婚姻とも言えますが、ご縁を司る星が合わさったときに生まれる感情のことです。
もし恋人同士がご縁があって一緒になるのなら、一般的に言って成功するチャンスは比較的多く、もしただ結婚したいために出会って結婚した人は、時としてあまりお互いを知らないうちに結婚することもあり、失敗率は大きくなることがほとんどです。これは、根拠のあることです。
私たちはよく「婚頭」という言葉をよく聞きます。それは、結婚したいがために目先のことしか見えなくなり、理性的に考えることが出来なくなる、という意味です。
なぜなら、付き合い始めたばかりの恋人は何もかもが楽しくて幸せですが、いざ二人で一緒に生活するとなると自分が思っていたのとは違うことばかりだからです。
正直に言うと、「愛情」とは非常に奥が深くデリケートなもので、言葉にするのは簡単でも行うのはとても難しいものです。
仕事をしているときには、8割以上のお客様が、彼氏(彼女)との感情について尋ねます。正直に言いますと、男と女は小さいときから大きくなるまでまったく性格が異なり、どのように上手く一緒に過ごすかは大きな挑戦です。
もし「愛情」と言う基礎がないまま長い時間を共に過ごせば、当然のことですがお互いの性格のために上手く過ごすことは大変難しくなります。
「愛情」について「愛し合うのは簡単だが、お互いのことを理解し合うのは難しい」という名言があります。皆さんもそう思いませんか?
ここで皆さんによく「愛情」についてよく知ってもらい、恋人がいる方はよいカップルになってほしいと心から願っております。
幸せが訪れますように!

《命理·風水15-施捨》

この二日間、あるお客様が最近あまり運がよくないとおっしゃいました。お話によると、旅行から帰って、友人が彼女の写真の顔が緑色に光っていて、身体も淡い緑色に光って、彼女を恐れさせたのです。今日彼女は一人の友人にこの事を告げたら、「施し」をして良くない運を解くべきだというので、その友人に200元を渡して、身体に障害のある人が売っている商品を買ってきてもらうよう頼みました。でも、友人に断られました。なぜなら、「施し」をしても運は開けないと。だから、私のところに惑いを解くために探して来られたのです。
どうして身体に緑の光があるのか説明してほしいですか?なぜなら、身体が緑色に光るというのは、陰気を意味しているのです。しかも第三空間の六親がついてくるのです。そこで、一般に言う「施し」は効果がないのです。まして路上には多くの本当は生活に困っていない「物乞い」もいます。もし「施し」に行くならば、廟の中に行って、協力を求める方が効果があります。ある人たちは、このような状況は理解していない可能性があります。ですからよく誤った概念があるのです。「善行、施し」はみないつでも普段していることろに行かなければいけません。このようにして、自分の福を積むことができすのです。もしみなさんが上に述べたような状況が起きたら、どうぞ先に大きな廟に行き、お参 りをして無事を祈り、さらに信頼できる御坊様や老師に「お祓い」をお願いしてください。 みなさまがご無事でうまくいきますことを祝福いたします!

《命理·風水14-3骨灰》

この前の続きです。言ってしまうなら、祖先の遺灰を自分の家の下に埋めてしまうと、私達は毎日彼等の上を歩きまわっている事になります。皆さんは祖先の霊が穏やかなままでいられると思いますか?これは祖先にも彼らにとって大変不敬なことだとは思いませんか?私たち陽の世界にいる子孫達が無事に過ごしていけると思いますか?今ここで皆さんに教えておきます。この場合無事に過ごせることはまず有り得ないでしょう。私たち一般人は「死者が一番偉い」と認識しています。自分達の祖先を最も尊敬するというのは、私たち台湾人の昔からの風習です。人が死んだ後は、まず彼らが安らかに眠れる場所を探します。そして吉日を選んで遺骨や遺灰を埋葬し、死者を弔い送り出すのです。逝ってしまった人の霊が穏やかに、そして安らかに眠れるよう祈り、そして機会があるならば、逝ってしまった人が往生できるように願って。そうすることで子孫達が平和に、無事に過ごせるのです。もしも祖先たちが良く過ごせていなかったら、それは大小問わずその子孫達にまで影響が出てしまうことになります。なので皆さんがご自身の祖先達についての問題を考慮して下さいますよう願っております。これは以前私の姉に聞いたことです。以前日 本のある芸術家の家で、芸術家の彼が愛した妻子の遺灰を使って装飾品を作り、家に置いていたのを見たというのです。言ってしまうならば、彼は逝者を往生させずにずっと縛り付けていたという事です。逝者は家から離れる事が叶わないので、もう一つの世界で待機した後に漸く往生することになります。もし死んだ人が焼かれた後、遺灰以外になにか焼き出てきた場合、修行した者や善事を多く行った者なのであれば、それは「舍利子」の可能性があります。もしも「舍利子」であるならば家で奉っても良く、それ以外ならば遺灰と一緒に埋葬する方が良いでしょう。皆さんが健康で無事に過ごせますよう願っております!皆さんが楽しく幸せでありますように!

《風水・命運14-2》
前の続きですが、お客様が私に、息子さんが6歳のときに起きた事故で亡くなったことについて話しました。お客様のお姉さんは病気でお亡くなりになりました。葬儀が終わった後、彼女の遺灰をお寺に置くのは惜しいと思い、家に遺灰を置きました。置いたまま20年近く経ったでしょうか、結果私が見た光景があります。私が初めてお客様を見たとき、彼の運勢はそんなに良くないという事を感じたのです。さらに彼の奥様も長男の身体の状況もとてもよくないのです。
そのため私はお客様に説明をいたしました。陽の世界の人は、陰の世界の霊と一緒にいることはできないのです。なぜなら、陰気は陽の世にいる人の健康や運勢を悪い方に導いてしまいます。また無事に過ごせず、まして亡くなった魂も、生まれ変わっても行くよい場所がありません。このようなことでは魂たちをさまよわせることになりますよね?
そのため、私はこのご夫婦に、たとえ心の中に捨てがたいものがあっても、吉日を選んで魂たちをお寺に持っていくように提案いたしました。
その後私もお客様の家を清めるのをお手伝いし、お客様はだんだんよい方向に変化し、有名になりました。今では日本でも指折りの有名な会計士です。毎回お客様は私が日本に行くのを知ると、必ず私を招待してくださいます。ご縁があって18年、私達の感情はまるで普通の兄と妹のようです。ありがたいご縁でここまで話しました。
私は日本でも数多くの風水を鑑定してきましたが、いつも思うのは日本の風俗や習慣と台湾のそれはまったく違います。そのうえ、まだ多くの日本の家庭にも私のお客様のような状況があります。もっとすごいのは、祖先の遺灰を家の地下に埋めてしまうようなご家庭があるということ…つづく

《命理·風水12-轉念》

ずっと以前から、命運と大きな関係のある文章を書いてみたいと思っていました。忙しさにかまけて、なかなか実現できずにいました。二、三日前に、父親のように慕っていた師匠がお亡くなりになり、その息子さんとお話をする機会がありました。彼が言うには、父親が亡くなったことで、いろいろな道理を悟ったそうです。それは「転迷闇悟」という考え方で、そうすると、人生のいろいろなところで、迷わないようになったそうです。「転迷闇悟」とは、簡単に言えば、今までの凝り固まった悪い考えを、良い方向に変えることです。言うのは容易いですが、実際に行動をとるのはなかなか難しいものです。なぜなら、私たちは聖人なんかではないからです。人というのは、過ちを 犯すものです。例えば、ある人をとても嫌いだとします。そういった感情はどんどん心の中に根ざしていきます。でも、考え方を変え、その人の長所を見るようにしていくと、段々とその人の嫌なところが気にならなくなります。また嫌なところが見えてきたとしても、良い所を思い出して、その人の悪い所を忘れようとします。すると、心の中も晴れ晴れとしてきます。ある人に憎しみを抱いているときに、相手を許すことを選べば、自分の敵が一人減ることになりませんか。もし私たちが、皆このような境地に達せれば、「転迷闇悟」の条件を満たします。心の状態を変えることで、自分の面相も変えていくことができるのです。私たちの占いの世界で「相由心生」という言葉があります。それは、心のあり方に よって面相も変わるということです。慈悲の心を持っていれば、面相も慈悲深くなってきます。確かにその通りで、度量があれば幸福も舞い込んでくる、面相が変わってくると、運気と幸福も徐々にアップするのです。皆さんもどうぞ試してみてください。心を大きく持って、いろんなことが段々と順調に運ぶようになってきます。私自身もう60近くですが、幼いころから世の変転を経ても、あきらめずにやってきました。今でも人と事との道理を学びながら生きています。また、「転迷闇悟」もいまだ学習しております。皆さんと一緒に勉強していきたいと思います。皆さんが健康で、平和で安らかに過ごされますように、お祈りいたします!