先生の文章

《風水 – 家運の低迷 2 》

前回の文章の続きです…

前回、女性の家に風水を見に出発しようとしたところ、急に疲労感に襲われて家を出られなくなったところまでお話しました。
私は、目に見えない者たちに道を塞がれているように感じました。彼らは私に彼女の家の風水を見られたくなかったのです。その状況は私にもよくわかります。ですが、あの可哀相なあの女性とその母親を救うためにも、私は行かなくてはなりませんでした。
アシスタントに、彼女と連絡を取ってもらい、約束の時間を遅らせて少し休むことにしました。彼女の家は少々遠く、もともと午前11時に彼女の家に行く予定でしたが、自分の体力を調整した後、午後3時半になってやっと家に着きました。家を出る前、これから私が風水を見に行くところに、神様の助けがありますようにと、神様たちに祈りを捧げました…。
二度目の約束の時間に女性の家に到着してみると、当時外は雨が降っていてとても寒く、彼女の家🏠は、あの時私の脳裏に浮かんだ家とまったく同じで、本当に陰気が強く古びてぼろぼろでした。私たちが家に着いた時、その可哀相な女性は動けないので、彼女の母親にドアを開けてもらったのですが、彼女の母親も足が悪く、ゆっくりとしか動けないようでした。家に入ってみると、状況は想像していたよりも更にひどく、胸が痛むようでした!彼女たちの状況を見て、私は心の中で本当に辛く感じ、しっかりと助けてやらなければならないと強く感じました。もし私が彼女たちを手助けしなければ、彼女たちのこれからの運命は一体どうなってしまうことか本当にわかりません。私は、私に彼女たちを手 助けできる能力があることを神様に大変感謝しました…。
彼女たちの家に入ってまず最初に目に着いたのは、神様と彼女の先祖が祀られている神棚でした。そこには5体の神様が祀られていましたが、そのすべてにもう神様は宿っておらず、あるのは神像の形だけで、それどころか、陰気に入り込まれていました。そのせいで家運も悪く、また彼女の祖先の場所には苗字の異なる二つの位牌が並んでいて、家の中には多くの霊がいたのです。それに加えて彼女たちはあまり動けないため、家の中の環境も物が散らかり、また汚れ、見る者を本当に悲しくさせる程でした。もともとこの家庭では彼女が掃除をしていたのですが、3、4年前に事故に遭ってからというもの、誰も掃除していないのです。母親も足が痛いために掃除をすることもできませんでした。この家庭 が抱える問題がどんなに深刻なものか、皆さんも分かったでしょうか…?つづく。

《風水 – 家運の低迷 1》

この二日間、一人の女性から依頼を受け、息子の智鴻と一緒に彼女の家の風水を見に行って参りました。命理風水の仕事に21年もの間従事していますが、こんなに胸が痛むような場所は初めてでした。今日はそのわけを皆さんにお話しようと思い、特別に文章を書いてシェアします。

数日前、アシスタントが一本の電話を取りました。風水を見て欲しいというそのお客様は、今のその方の状況をアシスタントに少しお話しました。当時私はちょうど風水の仕事をしていて不在でしたので、オフィスに帰ってから聞いたのです。そして私から彼女に電話を掛け直し、彼女の状況についてお話を聞きました。お話をしていくうちに、私の脳裏には彼女の家の様子が浮かび上がりました。彼女の話を聞き終えた私は、迷うことなく彼女の依頼を受けることに決めました。その女性は何度も謝礼はどうしたら良いかと尋ねました。私も、風水の費用の件はまったく話しておらず、お気持ち程度で良いですよとだけお答えしました。なぜなら、彼女の境遇は良くないと私の直感が私に伝え、またアシスタ ントも彼女は恐らく高額な費用は払えないと私に言っていたからです。私は、アシスタントとこの女性に、費用のことは心配しなくてもよいと伝え、すぐに彼女の家を訪れる日にちを決めました🏠⋯⋯。
彼女とお話をしている時、彼女がどうやって私を探し出したのか不思議に思い、尋ねてみました。彼女は中華電信の「1288」で調べたと教えてくれました。彼女の携帯はネットで調べることが出来ないので、電話を掛けて調べたのだそうです。私のような歳のいった人間はこの年齢にして初めて「1288」で電話番号を調べられるという事を知りました。昔から、104や105で電話番号を調べられることは知っていましたが、「1288」でも調べられるんですね、ハハハ!私は時代に後れを取っていますね、歳を取りました!
それはそうと、ついにその女性と約束をした日にちが訪れ、私は息子に車で送ってくれるように頼みました。しかしその日、出かける直前になって、私は急にひどい疲労感に襲われました…家からまったく出たくないのです。私は、この時初めてお客様と約束した時間を先延ばしにしました。なぜこのようなことになったのか、私には分かっていました。興味深い内容のお話はこの後に続きます。皆さん、続き期待くださいね…つづく

#日月命理館

《魚🐠に「収驚(驚いた時にその不安を鎮める)」》
今日、可笑しいことがあったのを突然思い出し、皆さんにシェアしたいと思いました!笑って😄😄😄頂けたら幸いです!
皆さんもきっと聞いたことがあると思いますが、びっくりした時など、その不安を鎮め平安を願うために、廟で「収驚」というお祈りをしてもらうことをことがあると思います。ですが、熱帯魚🐠のような小さな生き物も「収驚」を必要とするとは、皆さんも思いもよらないことと思います!
さて、我が家では🐠水槽があり、そこで私たちの大事な熱帯魚、特に私の主人が心から可愛がっている魚たちが泳いでいます。その日の朝、主人がいつものように大事な魚たちにごはんをあげに行くと、いったい何があったのか、魚たちは主人の姿を見るなり突然物陰に隠れてしまい、その様子に主人はとても心を痛めました!可愛い主人は私に「大事な魚たちは、恐らく何かにびっくりしたのかもしれない、「収驚」した方がいいんじゃないだろうか?」と言いました。私たちはこの言葉を聞いて、とても可笑しくて大笑い😄😄😄しました!しかし、考えてみるとその通りかもしれません。そして、私は魚たちのために、私のこのちょっとした特技を利用して、「収驚」のお浄めのためのお札の水を水槽へ 少し注ぎ、魚たちに飲ませました。するとなんと、2、3分もすると魚たちはだんだん活発になってきたのです。私たちの「収驚」のお浄めの水の効果は、なかなか良いではありませんか👍?私は主人がこんなにも機転が利くことにも今まで気づきませんでした。魚たち🐠にも「収驚」が必要だということを知っていたのですから。笑って頂けたら、私の主人のことも是非褒めて👍くださいね!皆さんも、私の主人はとっても可愛いと思いませんか?

#日月命理館

皆さんこんにちは:
清明節はこの前過ぎたばかりですが、友人から送られてきた笑い話を見て、皆さんにもその清明節での笑い話をシェアしたいと思いました。皆さんにも笑って頂けたら幸いです!😄😄😄

叔父さんがお墓参りに行きました。そして感心しながら、「最近の金紙は本物そっくりにできているなぁ、燃やす時に何となく少し心が痛む」としばらく苦笑した後、妻が電話をしてきてこう言いました。「お墓参りには行ったの?どうしてテーブルの上の金紙を持って行かなかったの?あと、さっき私が下ろしてきたばかりの6万元どこに行ったか知ってる?」叔父さんはそれを聞き終えると、驚きのあまり泣き崩れました。そばを通りかかった人は「なんて親孝行なんだろう!お墓参りでこんなに大泣きする人は今どき珍しい」と、口々に褒めました。その夜、夢の中におじいさんが現れてこう言いました。「孫よ、なんてことをしてくれたんだ。お前のせいで私はあの世の警察に捕まっ てしまったよ、偽札を使ったと言われてな」……..😂😂😂

#日月命理館

皆さんお早うございます!

毎日この八つのことをすれば、
日々がより良くなっていきますよ!

1、微笑む:佇まいがより良くなっていきます。
2、適応する:境遇がより良くなっていきます。
3、理解する:知己がより増えていきます。
4、許容する:生活がより美しくなっていきます。
5、賞賛する:人間関係がより広くなっていきます。
6、遠慮する:度量がより深くなっていきます。
7、善良する:世界がより浄化されていきます。
8、感謝する:幸せがより多くなっていきます。

皆様、おはようございます!今日は私たちの一年に一度の重要な祭日である「清明節」であります。皆様、お墓参りに出掛けられる時は車など安全に気をつけてください!皆様が平安で順調でありますよう、お祈り申し上げます。

皆さんお早うございます!ここ二日、ご懇意にさせて頂いている張さんご夫妻のお誘いを受けて、宜蘭県にある礁溪ロイヤルホテルで休暇を過ごしました。張さんご夫妻にはとても感謝しております。週末をここで過ごして、心をリラックスできます。ここ一年ほど、体調の関係で日本には出張していませんでした。日本でのお友達にお目にかかれず、桜の花を見ることもできずに、とても残念です。でも最近たくさんの日本のお友達からとてもきれいな桜の花の写真を送って頂きました。皆さんどうも有難うございます!せっかくですから、ここでそのお写真を皆さんにシェアいたしますね。皆さんに気に入っていただけますように!

《功徳‐5》

これらの古本は、ある古本屋を開いているおじいさんを助けるために、売れ残った廃棄処分の本を、全部買い取ったものです。おじいさんは本を捨てるに捨てられず、かといって買ってくれる人もいなくて、毎日あちこちに本を運んで、おじいさんはへとへとに疲れ、体を壊していました。ところが、それらの本が、私たちの5人の命を救ってくれたのです。
人の一生とは、時に何が起こるかわかりません。合理的な説明ができないし、或いは、これが私たちの言う《神》なのでしょうか。
人が何かを計算ずくめで物事をしようとしても、時には上手く行かなかったり、失敗したりするのは、神の計算があるというのを忘れているからなのでしょう。
自分の人生をここまで歩いてきて気付かされるのは、人というのはなんて小さな存在なんだということです。人は絶対に自己満足に陥ってはいけないし、自信があり過ぎてもいけない。自我が強すぎてもいけない。《人は神のことが見えないが、神は人の事を知り尽くしている》といいます。ならば、人は偉そうになんかしていられません。(南懷瑾教授推薦の言葉)
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この文を読んでとても考えさせられました…全ての人が完全な形でこの世に生きていられるのも、天が授けてくれた福のおかげです。また、どの人にも自分だけの天使がいることを強く信じています。生きているということは、修行をしているのと同じことです。常にプラスのエネルギーを積んでいくのです。正と邪はほんの一念の差、人を助けることは楽しいことです。見返りを求めないことです。人生で一番大きな修行は『智慧』です。そして最も大きな智慧とは『慈悲』です。
《親しい人にシェアして下さいね、人を助けることは自分を助けることです!》

≪功徳-4≫

つづき…

周りで見ていた群衆が先を争って記者に言いました:「先ほど三階の部分が煙の中で消えてしまったみたいです。しかもそこに白い服を着た人がいて、空中で水を撒き、火を押しのけていました!」お隣さんもやってきました。この人は同じ三階で隣続きです。しかもその人の家には大型のガスボンベが三つあって、火事の時にガスボンベが溶けて大きな鉄のボールのようになりました。でもなぜか爆発はしていません。もしも爆発していたら、うちの四人の子供と会社の女性は、今頃粉々になっていた事でしょう!それを聞いてからは、私は背筋が寒くなり、全身冷や汗が出ました。まさに間一髪でした!

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一カ月が忙しく過ぎ、新しい家に引っ越しを済ませて、9月の新学期になりました。子供たちのピアノの教材を買う為に、私たちは一緒に衡陽路の本屋に行きました。交通銀行の廊下を通る時、突然またあの占いのおじいさんが出現しました。すぐに両手を大きく広げて、子供たちを抱きしめて放しません。そして驚いて興奮しながらこう言いました。「あなたたちは生きてたんだね?あなたたちは何ともなかったんだね?」

おじいさんは、今回ははっきりと包み隠さず私に言いました。「あなたの命運には子供は一人もいない!この夏、子供たちは皆大きな火事で死んでしまう!」以前私の四人の子供を見た時は、こんな善良で慈悲の心を持つ子供たちがひどい目に合うことが悲しくて、天の神様はなんて心無いのだと、私たちがその場を去った後もおじいさんは涙を流し、あまりの悲しさにその日は店をたたんで家に帰ってしまったそうです。おじいさんは私の子供たちが死んでしまうのをとても惜しんでたのですが、助けたくても何もできず、占いの長い経験から、「閻魔大王が死に時を決めたら、誰もそれを変えることはできない」ということを知っていたからです。おじいさんは言いました。「 人の命を長く伸ばすことなんて、私には到底できない!」おじいさんは恥ずかしそうに、また自責の念に駆られた様子でした。

私はそばにいた子供たちに、これからはこの身寄りのいないおじいさんを、自分たちの本当のお祖父ちゃんのように呼び、接するようにと言いました。おじいさんはこんなにも子供たちを可愛がってくれ、子供たちのために涙まで流してくれました。もしかしたら、その涙が子供たちを守り、大難から逃れ、生きながらえたのかもしれません。

この年、私の一番上の子は小学校をまだ卒業していなくて、一番下の子はまだ幼稚園にも行ってませんでした。二男二女の四人の子供たちです。

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また、床には古本がたくさん山積みになっているがまだ整理されておらず、子供たちも本当にうんざりしています。通るに通れず、邪魔で仕方ありません。本当にどうしたらいいんでしょう!
つづく…

≪功徳‐3≫

つつき…

夏休みが来て、子供たちは家で過ごし、私の方は会社で忙しくしていたので、子供たちをどこにも連れて行けないでいました。会社のある女性に頼んで、家で子供たちの面倒と宿題などを見てもらっていました。

ある日会社で会議があったのですが、外側の応接室からかすかにテレビのニュースが流れているのが聞こえました。台北市の仁愛路に大火事があり、すごい勢いの火だと言っていました。

会議は私が受け持っていたので、詳しいことは聞こえませんでした、でも仁愛路には我が家があるので、4時半に会議が終わるとすぐさま同僚にお願いして、車で火災の現場に連れて行ってもらいました。
次の瞬間、運転していた同僚が私を起こしてくれました。多分疲れが溜まっていたのでしょう、車に揺られているうちに、私は眠ってしまったのでした。
目を開けたとたん、飛び込んできた光景を見て、「わっ!」と叫んでしまいました。「これは私の家じゃない。こんなひどい焼け方をして!」私は火の勢いが収まったかどうかなど構わず、三階の我が家まで駆け上ろうとしました。でもすぐに消防員と警察官につかまってしまいました!「私の子供たちは?私の子供たちは?」声を張り上げて泣き、私は上へ駆け上ろうともがきました。

現場は高温だったので、消防員はホースで水を放出して小さな防火通路を作ってくれ、その場の三人の人を呼んで私を三階まで護送してくれました。我が家の玄関の鉄の扉は、火事の高温で熱くて触れません。しかも膨張してしまって、開けるに開けられませんでした。消防員は大きな斧を振り上げて、鉄扉をたたき破ってけり倒してくれました。ようやく私たちはこわごわと身を摺り寄せるように、すばやく中に入りました。
家の中はどこも高温で濃い煙に包まれていました。熱いし、息ができないし、何も見えません。泣きながら、私は声を張り上げました。子供たちの名前を、一人ずつ呼びました。でも四人の子供たちの声は全く聞こえませんでした!

ここにきて、もう私は恐怖で両足が立てませんでした。気を失いそうになり、頭がおかしくなりそうでした。もう、本当に駄目だと思いました!

突然、消防員が人の体を踏んでしまったようだ、と言いました。なんと、うちの四人の子供たちはお互いに抱き合って1つになって、買って来たばかりの古本の山に倒れこんでいました。会社の女性は、もう一つの古本の山にやはり倒れていました。

消防員と警察と私は、急いで子供たちと会社の女性をしょって階下に降りて、病院に急送しました。幸いにも、窒息の状態はそんなに重くはありませんでした。緊急治療を行って、その日の晩には病院で徐々に意識を取り戻しました。

消防員が言うには、床がこんなにも焼けて高温になっていたので、もしも窒息して直接床に倒れてでもいたら、きっと焼け焦げて一人も生存できなかっただろうとのことでした!そして、消防員が最後に言ったのが、「あなた方ご一家はきっと道徳が良いのですね」でした。

この大火事が収まってから、我が家の隣近所の家々は全焼し、だれ一人生き残らなかったと聞きます。私たちが住むこの棟も、一階から二階、そして最上階まで全焼でしたが、我が家のある三階だけはなんと予想外に火事の被害から免れました。

消防員は「三階のあなたたちの家の外は煙が立ちこめ、消火水をかけようとしましたが、まるで家が消えたように見えませんでしたので、あなたたちの家の中は一滴も濡れることなく無事でした。」と言いました。

隣近所が火の海に覆われ、私たちの家の壁が高温になり本棚の鋼鉄が熱で曲がってしまいました。何万本の本も煙をあげはじめましたが、一冊も燃えませんでした。

消防員が言いました。「本当に奇跡的だ!こんなことがあるなんて。」

何万冊とある本がもし全部焼けてしまっていたら、うちの四人の子供たちは生きのこれたでしょうか?我が家は本だらけですが、それはとても燃えやすいはずなのですが。
続く…