《オーストラリア生死の旅-2》
つづき…
最初、私たち夫婦は期待に胸を膨らませて、今回このオーストラリア旅行に参加しました。けれども、こんな大きなトラブルに自分が巻き込まれてしまうなんて、親愛なる主人や皆さんに対して本当に申し訳ありません!
私が飛行機で、「席が狭い」と言った時、自分がとんでもないことを言ってしまったことに気付きました。急いでそれを取り消したかったのですが、それもできません。ただ黙ってそこに座るしかありませんでした。なぜなら、その席には私だけでなく、もう一つの無形の霊体がいたのです。飛行機✈が離陸してから水平飛行になった時、私の体は突然寒さを感じて震えが止まらなくなりました。スチュワーデスさんが食事を運んでくれた時も、突然食欲がなくなり、一口、二口食べただけでした。食事のお盆を下げてもらってからおよそ5分後、私は主人にとても気分が悪く、吐き気がすると言いました。すぐさま私は汚物袋を探し当て、一気にその日に食べたものを全部吐いてしまいました。私は吐いてしまえばもう大丈夫、と思ったのですが、体の寒さと震えはずっと止まらず、毛布を二枚と自分のジャケットを掛けても一向に温かくなりませんでした。いったいどれくらいの間震えていたのでしょう?うつらうつらとしているうちに夜が明けて、やっと震えが治まりました。それでやっとゆっくりと眠 りに入ることができました。でも、着陸まであと2時間しかありません。主人も私のことが心配で、一晩中ろくに眠れていません。本当に主人には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当なら、楽しい旅行の筈なのに、こんなことになってしまうなんて。でも後から考えてみて、私はうっかりしてしまったのです。飛行機✈の席に着く前に、その席にいるご霊体に、席を借りるとひとこと言わなかったのでした。また、お経を唱えてませんし、回向もしませんでした。後から主人が聞いてきたのですが、いつも海外旅行する時に、飛行機の席に着いたらお経を唱えていたのに、なぜ今回はお経を唱えなかったのか。それは、今までに旧暦の7月(鬼月)に旅行をしたことがなかったことと、通常海外旅行や出張をするのは、普通の月にしていたので平穏無事であったこと、今回は旧暦の7月で、しかもそれに加えて夜間の子時(23時~01時)だったため、冤情者たちの活動がとても盛んな時であったこと、また、旧暦の7月は冤情者(好兄弟)の天下でこの時期にはお経を唱えてはいけないことになっているから、と主人に説明 しました。つづく…
もっと恐ろしいことが後に続きます、皆さんどうぞお楽しみに。