先生の文章

《旧暦七月の普渡参拝方法およびタブーについて》

毎年旧暦の七月はとても縁起の悪い月で、加えて毎年旧暦の七月は事故や意外な災難も特に多く、皆様も十分に安全に気をつけてほしいと願っております!
@@@旧暦七月は、なるべく病院に行ったり手術を受けたりしないようにしてください。ですが、もし深刻な病気で危険な状態になった場合は、このタブーにとらわれすぎないようにしましょう。体の具合が悪いのであれば病院へ行かなくてはなりませんし、そのような事情を好兄弟(寃情者たちや身寄りのない霊たち)は理解してくれることでしょう!
@@@旧暦七月は、結婚や婚約の取り決めに適していません。
@@@旧暦七月は、地鎮祭や建設、上棟式や引越しにも適していません。
@@@旧暦七月の時期は、お椀によそったご飯にお箸を挿してはいけません。また、それは普段の食事でも同様です。これは香炉にお線香をお供えするのと同じ意味となるので、ご飯を食べようとする好兄弟を引き寄せてしまうでしょう。
@@@旧暦七月の夜は、なるべく口笛を吹かないようにしましょう。口笛の音は好兄弟の気を引くため、不必要な面倒事を起こしてしまいます。
@@@旧暦七月はあちこちの廟で野外劇や布袋劇を好兄弟に見せています。もし通りかかったときに、その劇を誰も見ていなくても、絶対に、なぜ誰もいないのに劇をやっているのだろう?と思ったり、言ったりしてはいけません。これは絶対に気をつけてください!普段でも、普通の月のときに行われている劇は神様に見せるために行われています。ですので、どうぞ皆さんお気をつけください!
@@@旧暦七月、皆さん普渡のために金紙や銀紙を燃やしますが、もし地面に金紙や銀紙を燃やしたような跡があっても、絶対に踏まないようにしてください。このようなことも、好兄弟を怒らせてしまうため、このような場所は絶対に避けるように、覚えて置いてください。災いを避けるためです。
@@@旧暦七月は、水辺や海辺には近寄らないようにしましょう。普段でも事故が起こりやすいこのような場所は、自殺したりおぼれたりして怨霊が多い場所でもあるため、毎年のこの時期は必然的に自分の身代わりをさせようとして多くの事故が起こります。これは、普段でも言えることです。海辺はとてもきれいですが、もし自分の運気があまりよくない状況であれば、事故が起こりやすい危険があります。ですので、どうぞ皆さん安全を第一に考え、注意してください。
@@@旧暦七月は、なるべく山登りはしないようにしてください。皆さんも、魔神仔(身寄りのない怨霊)や好兄弟の話を聞いたことがあることでしょう!このようなことは実際に本当にあったお話です。私が知っている魔神仔とは、とても大きな体を持った怨霊です。ですので、登山に行った人が道に迷ったり、いなくなったりしたときは、魔神仔あるいは好兄弟に出会ってしまったということがよくあるのです。もし本当に出会ってしまったときは六字大明呪の「オンマーニーパーミーホン」と唱え、観音菩薩様に「オンマーニーパーミーホン」の功徳をもって衆生に回向してもらいましょう。
以上が、私が知っていることや経験から得たことですので、皆さんにシェアしたいと思います。多すぎるほどたくさんの風習があり、一つ一つ書くのは出来なくて申し訳ありませんが、どうぞお許しください!この旧暦七月の事について、信じるか信じないかにかかわらず、最も重要なことは皆さん安全にはくれぐれも注意して下さい、ということです!この場で皆さんの平穏無事と健康を祝福いたします!

《上海の旅-5》

つづきです…

私たち親子が上海の日月光広場で食べている時、突然感じたことでした。夕飯を食べ終えると、息子は私と広場をブラブラしました。私は広場に立ち並ぶ店舗や商店の様子を見て、台湾の夜市を真似ているということを思い起こされました。ただ違うのは、台湾のよりもにぎやかさがなく、また売っているものも多くないところでした。ただ、彼らの場所は本当に広いのです。ここが自分の故郷ではないということに、なんとなくちょっと違和感を感じました。ときおり、台湾の若者たちは、国を出て外の世界を見るべきだと思うのです。そうした方が、今の生活をより大事に思うことができますし、またぜいたくを言わずに今ある幸せや、人とのご縁のありがたさを理解できるようになるでしょう。私たち親子は、ショッピングモールの中の環境を見て回った後、その広場を後にしました。道路に出てタクシーを拾うと、直接ホテルへ帰りました。ホテルに帰った後、毎回あの廊下を歩くとつまづくので、息子が私の手を繋いで歩いてくれました。また私が転んでしまうことを心配して、何度も「お母さん、気をつけてくださいね!」と呼び掛けてくれました。気恥ずかしいですね!部屋に戻った後、本当に浴室には入りたくはありませんでした。それには理由があるのです。しかしとにもかくにも、顔を洗ったり歯磨きしたり、体を洗ったり🛁、お手洗いに行ったりするには、そこへ入らないわけにはいけません。ですので、私は毎回入るたびに「すみません!お邪魔いたします」と言わなくてはなりませんでした。はぁ~、本当に疲れます!私たちのこのような特別な体質も、良いとも良くないとも言えませんね。次へ続きます…

《上海の旅-4》

続きです…

私たちの部屋は二つの坂道の中間にあり、山の谷にあるような感じでした。部屋に入る時、もし一人だったら本当にちょっと怖かったかもしれません。とにかく現実味を感じなかったのです。幸いにも私たち親子がここに泊まるのは一晩だけです。この様な間取りのホテルは、私たちの様な台湾人には合わないのでしょうね!平坦でなくて歩きにくい感じがしますし、また特に私は風水にこだわる人ですから。恐らくこのように言うのは私のお客さんに対して失礼かもしれません!本当に申し訳ございません!夜は息子の智鴻がこの年老いた母親を日月光広場に連れて行ってくれました。しかし、見た感じではそれほど遠くは感じなかった日月光広場ですが、右肺しか残っていない病人である私にとって、歩くこと!やはりかなりちょっときつく感じました。遠くまで歩いたり早足で歩いたりすると息が切れてしまうので、息子は私と一緒にゆっくり歩いて行きました。日月光広場に着くと、私たちは何を食べようかわからないまま、中を一周してみました。そして私たちは、比較的珍しい「ココナッツチキンスープ」を食べることにしました。正直に言うと、上海の物価は私たちが住む台北に比べてとても高いと思いました。しかし、台湾で暮らすことができる私たちは本当に幸せだということは、国を出てみないとみんな分からないものなのです。なぜなら、食べたいと思うものは何でもあるし、遊びたい、使いたいものも何でもありますからね。特に私たちの夜市!これは他のどの国にもないものです。やはり「我が家が一番」ということですね。ですので、この広場に座って食べているときに、突然自分の故郷のことを思い出してしまったのでした。次につづきます…

《レイニー・ヤンさん、李榮浩さん、おめでとうございます》

まず、ここで李榮浩さんのレイニー・ヤンさんへのプロポーズの成功のお知らせを祝福したいと思います。レイニー・ヤンさんのことを想い、本当に心から嬉しく感じます。ニュースの報道を見て、3年前にご縁があって台北之音でレイニー・ヤンさんと共に舞台の上に立ち、彼女の命相を鑑定したことを思い出しました。最初、台北之音からはどの芸能人の方を鑑定するのかは知らされておらず、現場に来て初めてレイニー・ヤンさんを鑑定することを知り、心の中でとても嬉しく思い、またとても緊張しました!なぜなら、レイニー・ヤンさんは私が大好きな芸能人の一人だったからです。幸いなことに、レイニー・ヤンさんの命盤を割り出すことができ、現場ではただ面相と手相を鑑定するのみでした。現場では口裏合わせなどはまったくありませんでしたので、まさに自身の実力頼みで執り行うのみでした。そしてこの度の報道を見て、以前私が鑑定したことは間違いなかったことを知りました。ただレイニー・ヤンさんは晩婚だっただけで、彼らは良い結果となったですから。この様な結果を目にすることができ、本当に嬉しいです。レイニー・ヤンさんにとって李榮浩さんは天意による良縁の相であり、お二人とも非常に才能のあるアーティストで、しかも干支や性格の相性もとても合っていたため、今日のようなご縁の運命となったのです。この場でレイニー・ヤンさんと李榮浩さんが共に白髪の生えるまで、末永く幸せでありますよう、祝福申し上げます!

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《上海の旅-3》

つづきです…

今回の上海でのタクシーの状況には、彼らが規制を良く守っていることに、本当に驚かされました。彼らは皆交通ルールに従っていて、道路にはちゃんと停車する場所がありました。もしそのルールに違反すれば、とても重い罰金が科せられるので、みんな違反しないのです。ただ一つ怖かったのは、電動自転車です。音もなく私たちの側を駆け抜けていくので、時々本当にビックリさせられました。虹橋空港からホテルまでは30分以上かかりました。私たちが泊まる場所は徐匯区と言って、なかなか賑やかな場所でした。私たち親子が周辺をぐるっと回ってみたところ、あちこちに大きなビルが林立していて、近くには「日月光商場」という場所もありました。
私たちは車を降りるとすぐにホテルでチェックインの手続きをしようとすると、私のお客様である銭さんが私たち親子の宿泊費を払ってくださっていたのです!この場を借りて、銭さんには本当に感謝したいと思います!本当にありがとうございます!実は私たちにとってここは慣れない土地でしたので、銭さんには心から非常に感激しました!
私たちがカウンターで手続きをしている時、カウンターのスタッフの女性はとても礼儀正しく丁寧に対応してくださいました。手続きを終えた後、私たちは荷物を持ってエレベーターに乗って上へと向かいました。エレベーターを降りると、たくさんの部屋が見えたのですが、私たちの部屋は奥のまた更に奥で、とても遠くに感じました。しかも床に少し高かったり低かったりなどの起伏があり、廊下を歩くたびにつまづきそうになり、もう少しで転んでしまうところでした。私の息子の智鴻は私に気をつけるようにと毎回気を遣ってくれました。このようなホテルに泊まったのは生まれて初めてです。もし風水でいうのならば、一般の住宅や店舗などで、この様な間取りにしないようにと建議するでしょう。それは、高低差があり平坦でないと歩きにくく、それは運勢にもあらゆる影響を及ぼすからです、ハハ!私のお節介な性格がまたも出てきてしまいました。私のお客さんの家でなくてよかったです。
私たちの泊まる部屋はちょうど二つの坂道の中間にあり、ちょっと奇妙な感じでした。この建物の設計師はなぜこのようなデザインにしたのか、分かりません。

次につづきます…

《上海の旅-2》

つづき⋯⋯

飛行機に乗っている時に、雹が機体にぶつかってきたお話をしました。そして、ぶつかる音は実際少し怖かったです。もともと休んでいた私ですが、この音で大変びっくりさせられ、咄嗟に数珠を握りしめお経を唱え始めました。5分経った頃、ぶつかる音は聞こえなくなりました。或いは、飛行機が雲の層を通り抜けたからかもしれません。天気が実際不安定だったので、雹が機体にぶつかる事故が起こりました。なんとか私たちは無事に上海の上空を飛んでいました。飛行機が上海虹橋機場に着陸した時、心からホッとしました。それから、私たちは歩いて入国ロビーに向かい、並んで入国手続きを待っていました。台胞証を持っている旅行客は、自動通関のカウンターで手続きすることができると、ちょうど空港の係員が叫んでいるのを聞き、スムーズに税関を通過するために、私たちも手続きに行き、確実に税関を通過するスピードが速くなりました。1、2年上海に来ない間に、彼らが礼儀正しくなっていることを感じ、態度も私たち台湾人と変わりなく、私が彼らの事を大げさに言っているのではなく、彼らは本当に進歩を遂げました。私たちの国も大きく進歩することを願います。私たちは入国ロビーを出て、外にある駐車場に行き、タクシーに乗りました。乗るとすぐタクシーのメーターが人民幣6元を表示しました。他にも人民幣4元からのタクシーもあり、タクシーを選択することができます。タクシーに乗ると愛する息子の智鴻は運転手に私たちが行く目的地を伝えました。大陸のタクシーを見て、何年か前の私たちのタクシー初体験をまだ覚えています。タクシーに乗る時は、道路の真中で手を上げないといけなくて、怖くて危険で、乗ることができるとは限りませんでしたので、毎回タクシーに乗るのは、とても大変なことでした。つづく⋯⋯

《上海の旅-1》

長い間海外に行っていませんでしたが、6月12日から仕事の関係で上海へ行くこととなり、正午の便で息子の智鴻と共に中国大陸-上海行きの飛行機に乗ることとなりました。直前になって、エバー航空のキャビンアテンダントによるストライキの事でとても心配していましたが、幸運なことに私たち親子はお昼に松山空港で手続きを済ませることができました。カウンターにつくと、航空会社の地上勤務のスタッフが、「あなた方は急いでいますか?」と尋ねてきました。私たちは最初その質問の意味がわからなかったのですが、彼らの話では、実は今日の飛行機に乗る乗客の人数がかなり多く、私たちに2000元ずつ渡すので飛行機の時間を延期させてもらってもよいかということだったのです。それを聞き終えると私たちはすぐにお断りしました。もし時間を延期して、席がなかったらどうしたらよいのでしょう?ですので、私たちは手続きを終えると急いで二階の出発ロビーに向かって一つ一つ関門をくぐり抜け、そこで息子とお昼ご飯を食べました🥣食べ終えてから待機室に行きましたが、待機室で30分ほど待った時、地上スタッフの方が、私たちに別のゲートに向かうようにと呼び掛けたのです。そしてさらに30分ほど待った時、飛行機の到着が遅れているとのアナウンスがあり、さらに1時間ほど待ちました。私は息子に、こんなことになるのなら、2000元もらっておけばよかった、と言いました。ははは!やっとのことで飛行機が来て、私たちは飛行機に乗ることができました。飛行機に乗るとすぐに手持ちの荷物を棚に乗せました。荷物がたくさんあったので、やっとの事で押し込むことができ、私たち親子は席に座り、お数珠を取り出したお経を唱えました。これは私が飛行機に乗って出国する時に必ず行う恒例行事です。お経を唱え終えると、目を閉じて体を休めました。しかし、飛行機が飛び立った途端に氷の塊が機体にぶつかってきたのです。バラバラという音を聞いて、私は恐らく雹だと思いました。とっても怖かったです~~~!・・・つづく

《風水編-明るくて元気いっぱいの音楽ダンス・スペース》

ここは音楽とダンスで満たされた空間です。私のお客様でもある、黃怡萍先生は有名な、そして美しいタップダンスのインストラクターです。彼女の旦那さま、林德潤先生も才能に溢れた音楽家で、お二人でとても素晴らしいアート・スペースを経営されています。このご夫婦は4,5年ほど前から私のお客様で、彼らが以前経営していた所から風水の鑑定を始めて、今の場所は我が家の向かい側、忠孝SOGOデパートのそばですが、そちらも風水鑑定をしました。以前このご夫妻にアドバイスしたのですが、前の古い場所は、お金が稼ぐことができたとしても集まりにくく、なぜならこの場所は多くの問題と欠点を抱えていました。また比較的「小人」(妨害者)を招きやすく、家賃も高すぎました。そこで、私は彼らに場所を変えるよう提言しました。彼らも私のアドバイスを聞き入れて、新しい場所を探し始めました。当然のことながら、良い陽宅を探し当てることは簡単ではありませんでした。この間、無数の物件を探し回り、三か月前にやっとご縁が巡ってきたのでしょう、苦労して一年ほどずっと探し続けてようやく今のこの良い場所を探し当てました。彼らに心からおめでとうと言いたいです。この新しい場所は、私と黃怡萍先生と林德潤先生が共に設計を施した努力の結晶です。黄先生と林先生の同意を得て、皆さんにご覧いただけるよう、ここにシェアしました。皆さんが分かりやすいように、古い場所と新しい場所とに分けてあります。彼らの新しい音楽ダンス・スペースはまもなく開幕します。たくさんのお客様がお集まりいただけますように、また、とくに芸術に興味のおありの方は大歓迎ですので、どうぞどしどしお越し頂けますようお願い申し上げます。彼らの新しいアート・スペースがますます発展しますように、また財源をもたらしてくれますようにお祈りいたします!

音楽ダンス・スペースの住所:台北市大安區忠孝東路四段15號5樓之3

皆様のお越しをお待ちしております!

《ホテルで起こった心霊体験―東京での旅-2》

続き…

車がホテルの入り口に着き、車が地下駐車場に入った時、とても良く覚えているのですが、ゆっくり車が入っていくと道に沿って冷たい風がずっと吹いてきました。その風は一般的な冷たい風ではなく、とても陰気な冷たい風でした。その時の私の心の中ではもうすでに悪い予感がしていました。今回ここに滞在するのは遊ぶためではないので、特別に注意をしていました。特に、車のドアを開けて降りた時に陰気な冷たい風が足から吹き上がって来て、その時全身に鳥肌が立ち、とても寒かったです。私は、すぐにお経を唱え彼らに「すみません!お邪魔します。」と言いました。そして、お客様を急かしてすぐにそこを離れてエレベーターに乗って上に行きました。

私たちはホテルの一階に着いた後、私のお客様が豪華な晩ご飯をご馳走して下さいました。そしてフロントで手続きをしに行きました。私は日本語が分からず、彼らが最後の一部屋を手配してくれていたことも知らなかったので、私はお客様にお礼を言い、お客様は帰えられました。私も上の階へ上がりました。私は一人で荷物を引っ張り、長い廊下を歩いていました。なぜならホテルの廊下は真っ暗で、後方にあるものが私をつけているを知っていたので、私も振り返りたくありませんでした。ただひたすら六字大明呪を唱え、彼らにお邪魔しますと伝えました。あの部屋へ入る前の長廊下は行き止まりのないような感じがしました。歩いて歩いてようやく部屋のドアへ着くと、すぐに私はドアをノックしました、中国語で「お邪魔します」と言いました。
一日の疲れもあって、私は荷物を置いた後、また持ってきた神明令旗と一冊の仏経をベッド脇のテーブルにさっと置き、すぐに顔を洗いに行ってからベッドに入り眠ると、目が覚めてからお風呂に入ると思って、私は部屋の鍵とチェーンロックをかけました。一人だけですから、特に安全に注意しなければなりません。
私はすべてのものを置いた後、すぐに眠りにつきました。
あの時の時間は、夜の10時頃に寝たと覚えています。おぼろげに少しの間眠っていたのでしょう。
そのときちょうどぐっすり眠っている時、急に冷たい風が部屋に入ってくるのを感じました。
私はうとうとしながら起き、どうしてこんなに寒いのだろう?と見てみましたが、見ない方がよかったでしょう。
一度見てしまえば大変でした!!
なんと部屋のドアが開いたのです、また白い影が突然飛び込んできました。私はさっとベッド脇に置いた令旗を取り、相手(冤情者→怨霊)に話しかけようとしたら、相手(冤情者→怨霊)は私の令旗を見て、すっとドアの方へ向かって急いで出ていきました。そのドアは勝手に閉まりました。私が就寝前鍵をかけるかのようです。

私はそれが出て行った後、お経を唱え回向しました。そして令旗を自分のそばに置き、横になって休みました。

翌朝、私の通訳とお客様が部屋まで迎えに来てくれました。私は夜部屋の中で起こった事を誰にも教えませんでした。
ただ彼らにエレベーターから近い部屋に変えてもらうようにお願いしました。ホテルのスタッフは荷物を他の部屋に移すのを手伝ってくれました。この部屋に移ってから不思議な出来事は起こらなくなりました。
このことは三年間私の心の中に留めておきます。三年後またお客様とお会いした時にアシスタントを通してお教えしました。
お客様は笑いながら言いました。
以前戦争の時、この現在地にたくさんの人がここで亡くなっていたので、こんなにも陰気だったのです。ここまで聞いて、私は思わず日本の皆様の勇気、恐れないことに感服いたしました。もし他の人であれば、おそらく驚いてしまうでしょう!ここまで書いて、私は皆さまが旅行する際、このような状況に遭遇したことを信じその場合は心を落ち着かせ、なおかつ怯えず、自然と禍転じて福となします。

🔸まずアドバイスとして、靴を脱いだら、靴先を外に向け、お住まいになっている部屋の冤情者(怨霊)にお邪魔します!自分が一時滞在しているだけの者です。お許し下さい!とお伝えください。そして六字大明呪を唱え、彼らに回向してください。
🔸もし独身女性お一人でしたら、ホテルのフロントスタッフに、安全のために一番最後の部屋を手配しないようにお願いしてください。

《ホテルで起こった心霊体験―東京での旅1》

18年前初めてお客様に呼ばれて東京にお客様の家の風水現場鑑定に行きました。
その時に泊まっていたホテル全てをお客様が手配して下さり、お客様は東京の有名な5つ星ホテルを予約して下さりました。
これから私は皆さまにこの実際に起こった恐怖体験をお話したいと思います。

18年前、初めて日本の東京に来た私は、とてもワクワクしていたのと同時にとても緊張していました。
出国する前の荷物の整理、風水鑑定に使う占い用の道具だけで1週間かかりました。なぜなら漏れがないか心配で、距離も遠いので、もし取りに帰るとなると難しいからです。そのため用心して必要なものをスーツケースに入れ、何度も確認して最終的に入れ忘れがない事を確認してやっと安心できました!これが出発前の心境です。

この日わたしは一人で荷物を持って東京に飛びました。
私のお客様も約束通りに東京の成田空港で待っていて下さり、
私たちは空港を出た後、車で直接お客様が予約して下さったホテルに向かいました。
初めて東京に来て、このとてもきれいな都市に驚かされました。
ずっときれいな景色を眺めているとすぐホテルの門に着きました。ホテルがとてもきれいで大きかった!のを見て、心の中で今晩はゆっくり休めると思いました。その時私は、日本語が一言、二言しか話せず、このホテルの綺麗さをお客様にお伝えしたくても、通じないものは通じず(笑)、身振り手振りでお客様に伝えるしかなく、お客様に伝わったかどうかも分かりませんでした。

車がホテルの入り口に着き、車が地下駐車場に入った時、とても良く覚えているのですが、ゆっくり車が入っていくと道に沿って冷たい風がずっと吹いてきました。
その風は一般的な冷たい風ではなく、とても陰気な冷たい風でした。その時の私の心の中ではもうすでに悪い予感がしていました。
今回ここに滞在するのは遊ぶためではないので、特別に注意をしていました。特に、車のドアを開けて降りた時に陰気な冷たい風が足から吹き上がって来て、その時全身に鳥肌が立ち、とても寒かったです。私は、すぐにお経を唱え彼らに「すみません!お邪魔します。」と言いました。そして、お客様を急かしてすぐにそこを離れてエレベーターに乗って上に行きました。つづく⋯