Archives 2019

《空虚な都市》

晩に主人と外で食事をして、そのあと街頭をそぞろ歩きながら、街並みの情景が目に入ったのですが、心の中は驚きでいっぱいです。ああ!街がこんなにも寂しくなってしまったなんて!
台北の東区に20年ほど住んでいますが、忠孝東路四段は一路ずっととても賑やかな通りでした。でも今となっては落ちぶれた感じがあって、この辺だけでなく、多くの店が「租」(貸し出し)という文字が貼られています。こんな情景、皆さんも恐らくもうご覧になっているでしょう。ほとんどの街並みが夜10時半を過ぎると、通りがまるで空虚な街を彷彿とさせます。ああ!いつから台北はこんな風になってしまったのでしょう?
20年前の私たちはとても幸せでした。「台灣錢淹腳目」という言葉があるように、台湾は昔から経済が発展して、お金が稼ぎやすいところでした。でも今はどうでしょう?大部分の人の収入は以前より多くなってはいません。時間は20年前で停止してしまったようです。現在の上層部の人たち、および台北市の指導者は、選挙と主権を守るために忙しく、多くの気の毒な民衆を忘れてしまっています。みんな苦しい日々を強いられ、台北の指導者に四年という時間をあげたのに、台北は少しも進歩していません。その指導者はよく台北には負債が無いといいますが、台北に建設が無ければ、おのずと負債はありません。ここ四年間台北市は何も進歩がありません。特に「大巨蛋」の建設問題は、四年の歳月を費やしても未だ進展がないです。多くの商店は、観光客が来ないのと年金改革のおかげで消費が減って、店を閉めるしかありません。家賃は一つの問題ではありますが、私たちの指導者は、この期に及んで空屋税を徴収するといっています。上には上の政策があり、下には下の対策がある、と私たちは十分承知しています。空屋のオーナーたちは適当に人を集めれば済むことで、空屋税なんて無駄なこと、それは自明の理ですよね。皆さんもそう思いませんか?
私ももう60年近く生きています。今の若い人たちを見ていると、とても心配になります。何日か前にタクシー🚕に乗ったのですが、そのドライバーさんが言うには、今の若い人はプレッシャーに弱いから将来の見通しがつかない。目標も何もなく、何をしていいか分からない。暇さえあれば飲み屋とか娯楽場に行って酒を飲んで憂さ晴らしをする。そのおかげで飲み屋の方は繁盛しているそうです。実をいうと、私もここ何年か多くの若い人たちを見てきました。彼らは意気消沈し、うつ病になってしまう人もいます。どうぞ上層の指導者や台北市の指導者にお願いします!もっと功徳を積んでください!もっと助けて下さい!口で国を治めるのではなく、気の毒な民衆や若い人たちの事を考えてあげて下さい。選挙の票のために人を欺くようなことは言わないでください。もっと気の毒な民衆の為になることをしてあげて下さい!このことがご自身の功徳を積むことにつながりますよ!
このタイミングでこの記事を書いて皆さんにシェアしたのも、皆さんが良い生活を過ごすことができることを心から望むからです。また、上層の指導者が自分の事だけでなく、功徳を通して民衆の皆さんに廻向してくれますように願います。どうぞ皆さんの将来が幸せで喜び溢れますように、平安で順調でありますようにお祝い申し上げます!

《 母親》

あと二日で母の日です。皆さんはどうやって母の日をお祝いするのか考えていることと思います。どうやって偉大なお母さんに感謝しますか。

母親の愛!それは、広大な海のようです。子供たちが生まれてから、母親は子供のためにおしめを替え、臭いも全く気にしません。一生懸命子供たちの世話をし守っているだけです。子供たちが病気になったり怪我をしたりすることを一番恐れています。毎日休むことなく愛する子供の世話をします。

子供たちがだんだん成長し、学校に入った後は、子供たちが迷ったり、騙されたりすることを恐れ、強風の日も雨の日も送り迎えをし、また学校で子供たちが学習不足で他の子たちについていけないのではと恐れます。一生懸命仕事をしお金を稼いで、子供たちに塾や習い事をさせ、より良い教育を受けさせます。良い学校に合格し卒業しても、子供たちの交友関係等…を心配します。

子供たちは大きくなったら、社会に出て働きます。母親はいつも子供たちのことをあれこれ気にかけ、子供たちのために朝ご飯、晩御飯を用意し、お弁当も用意し、子供たちに持たせます。更に子供たちの仕事が順調かどうか、ちゃんと暖かくしているかしらと心配します。 

子供たちが恋愛をしている時は、良い相手と付き合っているのか?幸せになれるのか?結婚後の子供のこと等々…孫の世話まで、孫のこともすべて心配します。無償の愛で、誰もまねすることができません。

母親の愛!それは天のようです。母親は子供たちのすべてを守ります。母親の愛は言葉では表すことができません。一言で言い終わることができません。母親はどんなに辛くても恨み嘆くこともなく、いつも自分がすべきことだと思っています。

多くの子供たちは母親がうるさいと思っていますので、子供たちは母親の子供たちに対する愛を理解することができません。常に自分が親になった時、両親の恩を知ることができます。ここに母の日を前にして、簡単ですが母親の気持ちを書きだしました。子供たちがご両親にたくさん親孝行をされることを願っております。「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず(子が親に孝養を尽くしたいと思うときには、親ははやこの世にはなく、 その思いを果たすことはできない)」子供たちはこのことわざを深く心に留めて、実行してください。もし文章の中に不適切な表現がありましたら、どうぞお許しくださいませ。ここに世の中のすべての偉大なお母さんたちを祝福させていただきます。楽しい母の日を!健康でありますように!幸福でありますように!

みなさん、どうぞ惜しむことなく自分の母親に伝えましょう。「親愛なるお母さん!本当にお疲れ様!私はお母さんが大好きです!」と。

一生の姉妹、美しいあなた、聡明なあなた、何でもできるあなた、善良なあなた、気立ての良いあなた、私はあなたを愛しています。私たちが年を取ったらいっしょに遊びましょう。メッセージをつなげていきましょう。最もかわいい美女、愛する姉妹にメッセージを送ります。今日と明日の二日は世界姉妹の日です。思い出した人にハッピーマザーズデーのメッセージを送りましょう!

《地獄門の前で見張りをする人‐3》

続き…

ところでĄ君はとても幸運です。彼が手術後集中室にいて数日間の治療をうけていました。目が覚めてから、起こった出来事はいくつかは漠然と覚えているのですが、いくつかの出来事は必ずしも覚えていません。実はこれは良い事です。
私は人が無事でさえいれば良いと思うのです。それからわたしはĄ君に退院後もし身体が健康になったら、必ず王母娘娘様にお礼を伝えに行くように言いました。彼も約束を果たしました。Ą君は回復してから、すぐに花蓮へ飛び、命の恩人である王母娘娘様にお礼を伝えました。この時、私もĄ君に教えました。生活を調整し、体を大事にすように頼みました。そうすれば、王母娘娘様が彼に与えた神様からの恩恵を裏切ることにはならないでしょう。私の寿命を彼に与えたこの気持ちは、その後A君はこの延命された10年という寿命の中で、高血圧、糖尿病、心臓病などを患いながら、10年目にこの世を離れたのでした。
私はずっとĄ君の状況を見ていましたが、もしĄ君がもっと功徳を積み修行をすれば、もしかしたら彼はもっと長く生きることができたかもしれないと思うのです…。
皆さんは、この本当のお話の中で、どの様に長生きできるようにお願いしたり、寿命を延ばすようにお願いするかが分かったと思いますが、実際にそのようなお願いをした人は、必ずもっと多くの功徳と福気を積まなければ、十分な功徳は満たされないと皆さんは思いませんか?すべての物事に因果や輪廻があり、心に善良な念をもって、感謝の気持ちを持ち、さらに修行による功徳があれば、自然とその人は神様から福気を与えられ、この様な困難に直面したときでも、自然と災いを吉に変えることができるのです。ここまで書いたところで、皆様の平安と無事を祝福いたします!健康でありますように!幸せでありますように!

《新しい時代を迎えて》

おめでとうございます!おめでとうございます!
今日は日本では、おめでたい一日であります。なぜなら新しい元号、《令和》の時代を迎えるからです。
《平成》の時代が幕を閉じ、歴史の一ページとなりました。85歳の慈悲深くお優しい、そして和やかで親しみやすい明仁天皇、皇后は退位されてその後の生活をのんびりと過ごされます。明仁天皇、皇后は日本の国民の皆さんから尊敬を受けたお方です。お二人は大役を果たされ、ようやく王位を退かれ、これからはゆっくりと過ごされることでしょう。ここにて、明仁天皇、皇后のお二人が健康でありますよう、お幸せでありますよう、お祈り申し上げます!
更に、《令和》の時代の徳仁天皇が即位し、新しい息吹を迎えることができますよう、繁栄ある生活をもたらしますよう、お祈り申し上げます。どうぞ徳仁天皇、皇后が健康でありますよう、平安で万事順調でありますよう、お祈りいたします!

《地獄門の前で見張りをする人‐2》

続きです…
先日は車で花蓮の瑤池金母様の廟に向かったところまでお話しました。私は廟に着くとすぐに二階にある王母娘娘様の前に駆け寄り、私はまずお線香を持って自分の八字(生年月日、生まれた時間)、そしてA君の資料を申し伝えた後、私は地面に跪いて王母娘娘様に私がなぜここに来たのか状況を説明し、王母娘娘様にA君の命を救って下さるようお願いし、赤い三日月を投げて祈りました。王母娘娘様は始め、全く受け入れて下さいませんでした。もしくは、A君の功徳が足りないか、寿命が来てしまったため、神様はA君に寿命を授けることを聞き入れて下さらなかったのです。手の打ちようのない状況で、ただ王母娘娘様のお慈悲を請うしかありませんでした。私は自分の寿命を10年A君に奉げることを誓いましたが、王母娘娘様は最初聞き入れて下さらず、私は一生懸命懇願お願いしました。私はこれから功徳を積むようよく精進し、衆生に廻向することを約束し、やっと私は王母娘娘様から聖旨を賜ったのです。私は王母娘娘様の聖旨を賜るとすぐに神様にお礼をし、直ちに台北行きの飛行機に乗り、飛行機から降りると飛行場から直接病院に向かいました。その時はもう夜に近くなっており、すぐに手術をしなければならないA君のため、医師たちも準備を整えていました。もうこれ以上待つ時間は残されていなかったため、私は手術室の外に固唾を飲んで座っていました。時間はもうすぐそこまで迫ってきていることが分かります。閻魔様は魂を引き抜くための使者を遣わすための命令を下していると思い浮かべた時、遠くから手錠と足枷の音が聞こえたのです。しかも、魂を引き抜く使者である牛頭馬面が人を連れて行くためにやって来るのが見えました。私は彼らがゆっくりと漂ってくるのを見ると、王母娘娘様の聖旨を手に持ち、その使者たちに向けて掲げました。彼らはその聖旨を見るとすぐに跪いてその場を離れていきました。
手術室で手術を受けていたA君は、ついにその数時間後には順調に手術を終え、集中治療室に移って治療を受けることになったのです。この期間は時間にして大体二日ほどのことでした。私は神様のお浄めの水を持ってきて彼を拭いてあげました。そしてその二日後に彼は目を覚ましたのです。A君は目を覚ますと、何かを見ていたようだと話しました。当然、人が気を失っている時、魂は離れて行っているはずですので、不思議な風景を見ることがあるでしょう。そのためA君はこんなにも長い時間意識が戻らず、たくさんのものを見ることになったはずです。しかし、彼は本当に幸運です。
つづく…。

《地獄門の前で見張りをする人‐1》

皆さんは、地獄の話が描かれている映画観たことはありませんか?例えば、閻魔大王や裁判官、七爺の謝将軍、八爺の范将軍(黒白無常、魂を引き抜くことを任務とする使者)、牛頭馬面(地獄に於ける刑の執行人)などのキャラクターがお話に出てくる映画です。そして「長生きできるようにお願い」したり、「寿命を延ばすようにお願い」したりするお話は、全くの作り話ではなく、本当にそのような状況があるのです。ですので、特別にそれを書きだして皆さんにシェアしたいと思います~

確か20年前、私がこの仕事についてすぐのことです。親友の一人であるA君は旅行会社に勤めていましたが、このA君の秘書の方が突然私に電話を掛け、助けを求めてきたのです。私の親友であるA君は、突然意識を失って病院に運ばれ、今まさに応急処置の真っ最中とのことでした。A君がまだ意識を失う前、精神状態がまだ正常だった時に、もし何か緊急または困難な問題があった時には私に連絡するようにと秘書の方に頼んでいたのです。それは、彼らの会社の風水を私が鑑定してからというもの、当時の彼らの会社は非常に景気が良くなったからでした。しかもA君は業務の関係でしょっちゅう海外のお客さんを訪ねなくてはならず、彼自身、糖尿病と高血圧の症状も持っており、その上よく夜更かししたり飲み会もあり、彼の健康は以前からずっと理想的とは言えないものでした。その頃のA君の仕事はまさにピークで、長期に渡る疲労のせいでさらに心臓にも症状が現れていたのでした。そしてある日彼の秘書BさんがA君が緊急処置中だと私に電話をかけてきたとき、私はそれを聞いてびっくりしました。A君は、極度の疲労が原因で心臓の血管が負荷に耐えられなくなったため、心筋梗塞で倒れたのでした。当時の私は電話を終えるととても緊張してどうしたらよいのかわかりませんでしたが、突然ある神様の姿が頭にひらめいたのです。それは、花蓮の瑤池金母様-王母娘娘様でした。
その時は人助けの気持ちですぐにチケットを予約し、飛行機に乗って花蓮へ飛んでいきました。A君は今まさに時間との戦いだということを知っていたので、私はとても焦っていました。花蓮に着くと私はすぐに車で王母娘娘様の廟に向かいました。当時の私は、二十歳くらいの頃から瑤池金母様を参拝していて瑤池金母様だけを知っていたので、すぐに瑤池金母様を思い付いたのでした⋯⋯つづく。後半は更にすごい内容ですよ。

今日大きな地震がありました。皆様は大変怖かったことと思います。ここに、すべての皆様が平安で無事でありますようにお祈り申し上げます!災いを転じて福となしますように。

《奇妙な病気-6》

続き…

お客様の家は新しく開発された地区だとお話しました。昔は漁村で、加えて彼らの土地は、ほとんど墓地だった所に建てた家でした。自然と地霊は大変陰気な場所になり、人々の気が集まりませんでした。だから、多くの人がここに来て会社を興した後、しばらくするとここを去っていきました。ほとんど人がこの場所に長くいられず、自然と人々の気が離れていきました。ことわざに「福地福人居(福がある人は福のあると土地に住む)」一般に墓地の上に家を建てる人は、亡者に対して非礼を謝り、感謝をするべきではありませんか?私たちが行ういわゆる法要並びに「落成儀礼(謝土)」は、多くの方がご存知である「地鎮祭(動土)」です。「謝土(人は建造物を建てた土地から邪悪なものを払い、その土地を「陰」の世界の土地の持ち主〈地基主〉から買い取らねばならない。〈地基主〉とは、かつての土地の持ち主で死後その霊がその土地に残ったものとされている)
」を知らないと、奇怪な事がいくつか起こります。これは中国の土地のため、結局のところ多くの習慣や決まりを彼らが理解していない状態だったので、多くの事が起こりましたが、仕方のないことでした。

後に彼の家の中に、彼とある師父とのご縁で、神様を招いて、すでに開眼供養の儀式をした神様「関聖帝君(関羽様)」を奉り拝んだと聞きました。私は写真を見た後、本当に多くの問題があることに気が付きました。もし神様に霊験があるなら、家の人々が平安で健康ですべて上手くいきます。しかし、神様が不安定な状況なら、家運、事業運が不安定です。私はここ20年以上数えきれない神棚を見てきて、いろいろな問題が発生しているのも見ました。ですので、経験が私に多くの事情や答えを教えてくれます。皆様はここまで書いてきたことを読まれて、風水と神棚の位置がこのように重要であることは理解されていると思います。神様の仕事の手伝いとして、真心より皆様が平安で健康でありますよう、願っております!更に私のこのお客様がよいお住まいを見つけ、なるべく早くここから離れて別の場所に引っ越しされれば、自然と平安を得られ、健康で、お仕事も上手くいきます。ここに、彼ら一家が平安無事でありますように!健康でありますように!

《奇妙な病気-5》

続き…

前回、私はお客様に先に家に帰って休むようにお伝えしました。私もお客様が家に帰ると何かが起こると思っていました。結果として、私が想像していたことが起こっていたのです。次の日私は、お客様に午後当館に来てもらい、2回目にすることを準備しました。もう一つの霊を神様に連れていって頂くためです。お客様が神棚に入ると、昨晩一晩中頭が痛くて眠れず、腰から下がまだ痛いのだと言われました。私は神様にお伝えし、お守りいただくようお願いしました。続いてお客様のために除霊をし、除霊をしたあとすぐにお客様は楽にされていました。そして、お客様がリビングに座るとすぐにお客様は全身から汗が吹き出し始めたのです。もともとお客様の体は冷たく、特に背中部分がもっと冷たかったのですが、霊に憑かれたことに加えて1週間モルヒネとステロイド剤を打ったことにより当然のように体が冷たくなり、体も弱くなっていました。そのため、お客様が汗をかかれるのは正しいことで、汗をかくことによって不浄な気と薬の成分を排出することが出来ます。お客様がリビングで私たちと話していた時、お客様のお母様と奥様が不思議がっておられました。お客様が私と、とても長く会話をし、体も真っすぐに長く座ることが出来、さらに悠然と語っていたからです。お客様の状況を聞いてみると、以前から私はお客様に憑いている霊がみえており、その霊は海辺か山の上から来たのではないかと思っていましたが、本人の説明を聞くと自分が見たものの全ては間違いではなく、問題の原因はお客様が今住んでいる家にあるのだとわかりました。なぜなら、お客様が住んでいる地域は新しく開発された場所で、病院にも近く、前には一本のマングローブの河があり、海の入り口にも近くにあります。最も重要なことは...続く