Archives 2019

《ホテルで起こった心霊体験―東京での旅-2》

続き…

車がホテルの入り口に着き、車が地下駐車場に入った時、とても良く覚えているのですが、ゆっくり車が入っていくと道に沿って冷たい風がずっと吹いてきました。その風は一般的な冷たい風ではなく、とても陰気な冷たい風でした。その時の私の心の中ではもうすでに悪い予感がしていました。今回ここに滞在するのは遊ぶためではないので、特別に注意をしていました。特に、車のドアを開けて降りた時に陰気な冷たい風が足から吹き上がって来て、その時全身に鳥肌が立ち、とても寒かったです。私は、すぐにお経を唱え彼らに「すみません!お邪魔します。」と言いました。そして、お客様を急かしてすぐにそこを離れてエレベーターに乗って上に行きました。

私たちはホテルの一階に着いた後、私のお客様が豪華な晩ご飯をご馳走して下さいました。そしてフロントで手続きをしに行きました。私は日本語が分からず、彼らが最後の一部屋を手配してくれていたことも知らなかったので、私はお客様にお礼を言い、お客様は帰えられました。私も上の階へ上がりました。私は一人で荷物を引っ張り、長い廊下を歩いていました。なぜならホテルの廊下は真っ暗で、後方にあるものが私をつけているを知っていたので、私も振り返りたくありませんでした。ただひたすら六字大明呪を唱え、彼らにお邪魔しますと伝えました。あの部屋へ入る前の長廊下は行き止まりのないような感じがしました。歩いて歩いてようやく部屋のドアへ着くと、すぐに私はドアをノックしました、中国語で「お邪魔します」と言いました。
一日の疲れもあって、私は荷物を置いた後、また持ってきた神明令旗と一冊の仏経をベッド脇のテーブルにさっと置き、すぐに顔を洗いに行ってからベッドに入り眠ると、目が覚めてからお風呂に入ると思って、私は部屋の鍵とチェーンロックをかけました。一人だけですから、特に安全に注意しなければなりません。
私はすべてのものを置いた後、すぐに眠りにつきました。
あの時の時間は、夜の10時頃に寝たと覚えています。おぼろげに少しの間眠っていたのでしょう。
そのときちょうどぐっすり眠っている時、急に冷たい風が部屋に入ってくるのを感じました。
私はうとうとしながら起き、どうしてこんなに寒いのだろう?と見てみましたが、見ない方がよかったでしょう。
一度見てしまえば大変でした!!
なんと部屋のドアが開いたのです、また白い影が突然飛び込んできました。私はさっとベッド脇に置いた令旗を取り、相手(冤情者→怨霊)に話しかけようとしたら、相手(冤情者→怨霊)は私の令旗を見て、すっとドアの方へ向かって急いで出ていきました。そのドアは勝手に閉まりました。私が就寝前鍵をかけるかのようです。

私はそれが出て行った後、お経を唱え回向しました。そして令旗を自分のそばに置き、横になって休みました。

翌朝、私の通訳とお客様が部屋まで迎えに来てくれました。私は夜部屋の中で起こった事を誰にも教えませんでした。
ただ彼らにエレベーターから近い部屋に変えてもらうようにお願いしました。ホテルのスタッフは荷物を他の部屋に移すのを手伝ってくれました。この部屋に移ってから不思議な出来事は起こらなくなりました。
このことは三年間私の心の中に留めておきます。三年後またお客様とお会いした時にアシスタントを通してお教えしました。
お客様は笑いながら言いました。
以前戦争の時、この現在地にたくさんの人がここで亡くなっていたので、こんなにも陰気だったのです。ここまで聞いて、私は思わず日本の皆様の勇気、恐れないことに感服いたしました。もし他の人であれば、おそらく驚いてしまうでしょう!ここまで書いて、私は皆さまが旅行する際、このような状況に遭遇したことを信じその場合は心を落ち着かせ、なおかつ怯えず、自然と禍転じて福となします。

🔸まずアドバイスとして、靴を脱いだら、靴先を外に向け、お住まいになっている部屋の冤情者(怨霊)にお邪魔します!自分が一時滞在しているだけの者です。お許し下さい!とお伝えください。そして六字大明呪を唱え、彼らに回向してください。
🔸もし独身女性お一人でしたら、ホテルのフロントスタッフに、安全のために一番最後の部屋を手配しないようにお願いしてください。

《ホテルで起こった心霊体験―東京での旅1》

18年前初めてお客様に呼ばれて東京にお客様の家の風水現場鑑定に行きました。
その時に泊まっていたホテル全てをお客様が手配して下さり、お客様は東京の有名な5つ星ホテルを予約して下さりました。
これから私は皆さまにこの実際に起こった恐怖体験をお話したいと思います。

18年前、初めて日本の東京に来た私は、とてもワクワクしていたのと同時にとても緊張していました。
出国する前の荷物の整理、風水鑑定に使う占い用の道具だけで1週間かかりました。なぜなら漏れがないか心配で、距離も遠いので、もし取りに帰るとなると難しいからです。そのため用心して必要なものをスーツケースに入れ、何度も確認して最終的に入れ忘れがない事を確認してやっと安心できました!これが出発前の心境です。

この日わたしは一人で荷物を持って東京に飛びました。
私のお客様も約束通りに東京の成田空港で待っていて下さり、
私たちは空港を出た後、車で直接お客様が予約して下さったホテルに向かいました。
初めて東京に来て、このとてもきれいな都市に驚かされました。
ずっときれいな景色を眺めているとすぐホテルの門に着きました。ホテルがとてもきれいで大きかった!のを見て、心の中で今晩はゆっくり休めると思いました。その時私は、日本語が一言、二言しか話せず、このホテルの綺麗さをお客様にお伝えしたくても、通じないものは通じず(笑)、身振り手振りでお客様に伝えるしかなく、お客様に伝わったかどうかも分かりませんでした。

車がホテルの入り口に着き、車が地下駐車場に入った時、とても良く覚えているのですが、ゆっくり車が入っていくと道に沿って冷たい風がずっと吹いてきました。
その風は一般的な冷たい風ではなく、とても陰気な冷たい風でした。その時の私の心の中ではもうすでに悪い予感がしていました。
今回ここに滞在するのは遊ぶためではないので、特別に注意をしていました。特に、車のドアを開けて降りた時に陰気な冷たい風が足から吹き上がって来て、その時全身に鳥肌が立ち、とても寒かったです。私は、すぐにお経を唱え彼らに「すみません!お邪魔します。」と言いました。そして、お客様を急かしてすぐにそこを離れてエレベーターに乗って上に行きました。つづく⋯

《考え》

皆さんこんにちは!端午の節句がちょうど過ぎましたがちまきは食べましたでしょうか?ドラゴンボートフェスティバルはご覧になりましたか?

最近比較的忙しいため、脳が空っぽになってしまいます。(笑)自分が怠け者になったのだと突然気付き、それとともに考えも思いつかず、ただただ休みたいです。ベッドに横になってテレビを見ている時、少し前にお客様とお話していた時の旅行についての話が閃きました。お客様は私がホテルに滞在してきた21年の経験を書いて頂けないでしょうか?と聞かれました。わたしの考えはまた湧いてきており、急いで文章を書いています。また忘れるといけないのでここ2日間で書き始めました。少しお待ちください⋯⋯

また今年も一年に一度の端午節がやってきました!みなさんの端午節がすべて平穏で順調でありますことを祝福いたします!お体を健康に!

《幸運》

今日、私たち夫婦は親友の張さんご夫婦に招待して頂き、友人と共に宜蘭の礁溪にあるロイヤルホテルへやってきました。
夕飯を食べ終えた後、一階のロビーでは毎晩民俗ショーが催されます。そのショーが終わるとくじ引きがあり、私たちのとてもLUCKYなチケットには、015288とありました。とても素敵な番号ではないですか。一般的に、くじ引きではまず最も小さな賞から発表されます。丁度私たちは、その日は食べるのが遅かったため、親友の任さんが先に私たちのチケットをくじの箱の中に入れておいてくれていました。主人が先に夕飯を食べ終わった時、突然くじ引きチケットの半券を任さんに渡し忘れていたことを思い出し、ちょうど親友の鳳琴さんが一階へ向かうところでしたので、私たちはチケットの半券を鳳琴さんに持っていってもらいました。
当たりくじ発表の時間も9:30となり、私と主人も一階のロビーに向かいました。そこではすでに発表が始まっており、しかも賞の残りもあと二つだけでした。その時、パソコンの画面に一等賞の番号は、015…と表示されました。私は、もしかしたら私の番号かも知れない、という予感を感じました。ハハ😄!やっぱりその通りでした!私の番号だったのです、とっても嬉しい!嬉しい!本当に幸運です!そこにいるすべての親友たちと、他の宿泊客も歓喜の声を上げて拍手をしてくれました👏一等賞として、超巨大パンをもらい、親友たちみんなと一緒に写真をとりました。こんな幸運を得られたのは招待して下さった張さんご夫婦のおかげです🙏感謝いたします!この喜びを皆さんにもシェアしたいと思います!皆さんも、私のように超幸運がありますように!

《幸せはどのように選ぶのか?-2》

続き…

前回誰が誰に連れ添っていくことも運命であるとお話しました。私はCさんに説明している時、Ą君はあなたに対して至れり尽くせりの世話をしているか?と彼女に聞きました。彼女は、はいと答えました。私はCさんに、もしCさんが病気になったら、Ą君は必ずお世話をするでしょうと教えました。Cさんも、そうですと言いました。私はCさんにこれがあなたの求めている幸せなのだと伝えました。Ą君は立派な人で責任感があり、また生活面、経済面でも、Ą君はCさんに幸せをもたらすでしょう、どうぞご心配なさらないでくださいと伝えました。

対照的にB君は40歳を過ぎてまだ結婚していません。私は命盤からB君の感情が不安定で、性格、生活面でも不安定であると気づきました。なぜならこの方は利己的で、遊びの感覚で生活を送っています。この方は考えすぎてしまう性格で、独占欲も強く、人間関係も良くありません。ですからB君は未だ結婚できていないのです。事業が常に上り調子にならない原因もここにあります。私はCさんに、彼女たちが食事に行く時、B君はご馳走してくれるか聞きました。Cさんはいつも別々に支払いしていると言いました。私はCさんに言いました。B君がもしあなたに対して優しい男性であれば、彼がお金を出すのが正しいでしょう、また病気の時もCさんを気にかけていません。このことから分かるように、Ą君とB君のやり方が比較できます。Ą君は離婚をしたことがある男性で、失敗に終わった結婚を経験しています。彼はより次の縁を大切にするでしょう。みなさんはどう思われますか?私はよくお客様に、愛されることは幸せで、愛することは辛いと言っています。私はこの話は本当に嘘偽りがないと思います。
みなさんが愛されることを選ぶと信じています。しかしながら自分が愛されるとき、かならず幸せな生活をありがたく思い、ご縁を大切にしなければなりなせん。そうすれば長続きするでしょう。ここでCさんの幸せになれますようお祈りいたします!愛する人と結ばれますように祝福いたします!

《幸せはどのように選ぶのか?-1》

最近Cさんという女性のお客様がいらっしゃいました。彼女は別の方からのご紹介でいらっしゃった方で、
どうやって自分の幸せを選んだら良いかと教えを請いに来られました。

彼女の命盤とAさんとBさんという男性二人の命盤をみました。彼女の命盤とはAさんとの相性がよいとお伝えしました。また、二人の男性の個性と彼らの長所と短所もCさんにお伝えしました。彼女もそのように感じていたようです。でも、もう一人のBさんは今まさに彼女とお付き合いをしている方で、Bさんはまだ結婚したことが無い方です。そしてAさんは離婚したことがある男性です。そこでCさんはどう選択すべきかためらっているのです。
私は彼女に伝えました。Aさんは彼女の面倒をよくみてくれるでしょう、しかしCさんはBさんを手放したくない、私が教えたことは、Cさんがどうやって認識し、その一人を見分ける方法だけでした。
人はつまずくことに出会った時、対策を講じるしかありません。私もCさんにお伝えしました。一人の男性は離婚経験があるけれど、きっと前の奥さんとは個性が合わなかったのかもしれません。あるいは二人の間に誰か浮気相手が現れたのかもしれない、これらはみな結婚の失敗の原因となり、ご縁の終わりでもあります。そこで二人が別れたことがわかったのです。なぜなら、私がみたAさんの命盤は別れた前の奥さんとは個性が合っていませんでした。でもCさんの命盤とはばっちり合っていたのです。
離婚した夫婦が必ずしも悪いとは限りません。誰と誰が運命で決められているのか、誰が誰に連れ添っていくのか、これもまた運命なのです。
…つづく

♦️♦️♦️《貴人》

人の一生の中で、特に人生の道や人間関係において、私たちの運勢には良い時も悪い時もあり、人の一生は永遠に順風であるはずがありません。私たちが辛い逆境の時に、皆さんは何が一番必要だと思いますか。皆さんは自分が一番必要なのは「貴人(助けてくれる人)」の助けであることを知っていらっしゃると思います。では、「貴人」とは何でしょうか?

「貴人」とは、自分が困難に遭った時に、自分を助けるために現れる人で、彼らは身の周りにいる家族、友達、同僚、上司だったり、また或いは知らない人かもしれません。神様の貴人かもしれません。例えば、大きな困難に遭った時に、突然災い転じて福となした場合、このような神様の貴人がいらっしゃったからです。一般的には修行によって、或いは善事をしたり、お祈りしたりしたからで、貴人に遇った時は間違いなく心の中で感激することでしょう。善事をする機会を多くつくる、そうするとより多くの貴人を持つことができます。備えあれば憂いなし、予期せぬ困難に遭った時に、より多くの貴人の助けを得ることができ、また困難が災い転じて福となします。皆さん、そう思いませんか?

ここに皆さんの願い事が叶いますように!より多くの貴人の助けを得られますように!皆さんが平安で順調でありますように願っております。

5月20日に、皆さんが大好きな人と一緒に過ごせるように心から願っております。それは、2019520(永遠にあなたを愛します)という意味を持つ数字の日は、世界でただ一日だからです。これを、私を含め、あなたが思い付いた18人のネット上の親友に送らなければいけません。よく自分の身体を思いやり、自身の健康に責任を持つようにして下さい。世界中のすべてのものはあなたのものではありませんが、唯一あなたの身体は自分のものです。本当は、皆さんがあなたからの温かい言葉を待っています。ですので、思い出した人に送りましょう!今日明日の二日は、世界友達の日です。9人の最も仲の良い親友、9人以上に送るとあなたは幸せになります。私を含め、思い付いた誰へでも送って下さい。あなたのところで止めないでくださいね!

今日、私が最も尊敬する、前行政院長孫運璿氏がご子息宛に書いた手紙を見ました。内容がとても良かったので、皆さんにシェアしたいと思います~
台湾政界でも著名な行政院長孫運璿氏が生前ご子息に一通の手紙を書きました。最近になってこの手紙が世に知られるようになり、ネットでも話題となっています。多くの父親がこの手紙を目にして心を動かされました。父親だけでなく、全ての人が共感できるはずです!「来世では、愛していようがいまいが…もう再び会うことはない」孫運璿氏が息子に送った覚え書き
我が息子:この覚え書きをお前あてにに書いたのは、以下の三つの原則からきている:●人生において幸福や不幸は常に移り変わる。誰も自分がいくつまで生きられるか分からない。何か言いたいことがあるのなら、早めに話した方がいい。●私はお前の父親だ。私が言わなければ、ほかに誰がお前にこういうことを言うのか?●この覚え書きに書かれていることは、全部私の失敗からくる痛い体験談だ。お前のこれからの成長に少なからずの助けとなるだろう。
以下に、お前が人生の中で覚えておかなければいけないことを記す:(一)お前に対して良くない態度を取る人は、あまり気にするな。一生のうち、私とお前の母親を除いて、何人もお前に良くする義務はないのだから。お前に良くする人たちについては、それを感謝して大事にする以外に、多少用心するように。なぜなら、どの人も何かをする時にはその動機がある。その人がお前に良くするのは、お前に好意があるからとは限らない。必ず物事をはっきりとさせ、すぐに本当の友達だと思わないように。(二)かけがえのない人はいない、手に入れなければならない品物などない。このことが分かれば、もし将来そばにいる人がお前の元を離れても、あるいは、世界で最愛のものを失ってしまったとしても、それらは大したことではないと理解できるはずだ。(三)人生は短いものだ。今日まだお前は人生を無駄にしてたとしたら、明日は人生の方が遠ざかってしまうだろう。人生を早いうちに大切にすれば、それだけ長く人生を楽しむことができる。長寿を望むよりも、早く人生を楽しむべきだ。(四)世界中どこにも最高の愛などない。愛情はある種の恥じらいの感情。それは歳月と共に薄らいでいく。心境も変わる。もし最愛の人が自分から離れたとしたら、ほんの少し我慢強く待って、日ごとに悲しみは洗い流され、心が沈殿するのを待って、やがて苦しい気持ちは和らぐから。美しい愛に強い憧れを抱かないように、また大げさに失恋の悲しみを感じないように。(五)世の中の多くの大成した人たちが、さほど教育を受けていなくても、それが勉強をしなくても成功するということではない。自分が学んだ知識は、おのれの武器になる。裸一貫で身代を築くこともできる。でも全くの素手ではできない。肝に銘じておくように!(六)私は老後の面倒を見てくれとは言わない。でも同じように、私もお前の老後の面倒は見るつもりはない。大人になって独立したら、私の責任は終わった。以後、バスに乗るかベンツに乗るか、フカのヒレを食べるか春雨を食べるかは自分で責任を負うように。(七)自分自身に信用を求めることはできるが、他人に信用を求めることはできない。人に良くするように自分に求めることはできるが、他人が自分に良くすることを期待してはいけない。自分が人に良くしたからといって、人から同じように良くされるとは限らない。もしこのことが分からなければ、不必要に悩みが多くなるだけ。(八)今世でどれほど長く一緒にいたとしても、愛する人とは一度きりのご縁しかない。だから、一緒にいる時間を大切にしよう。来世では、愛していようがいまいが、もう再び会うことはない。愛する人とは一度きりのご縁しかない。家は、大きくても小さくても構わない。雨風をしのぐことができればそれでいい。家は、うるさくてもにぎやかでも構わない。おたがい憎み合っていなければそれでいい。家は、泣いても笑っても構わない。家族みんなが楽しければそれでいい。家は、貧しくても裕福でも構わない。家族が一緒で温かければそれでいい。家は、遠くても近くても構わない。帰りの道さえ覚えていればそれでいい。家は、古くても構わない。頻繁に父母に会いに帰りさえすればいい。