Archives 2014

私は長い間お客様に鑑定占いをしてきましたが、ここ十何年、多くの人が婚姻生活に対して不安や恐怖を抱いている人がいることが分かりました。 何故不安や恐怖を抱くのか、その主な原因は二つあると私は考えます。 一つ目は、家庭環境。これが一番大きな原因です。例えば、両親の離婚により自分が心の奥底で結婚に対して不信感を抱いてしまい、 将来自分が結婚しても両親と同じように離婚してしまい、不幸になるんだと考えてしまうこと。

二つ目は、出会った相手が悪かったこと。 例えば、相手の人が性癖に問題があったり、暴力的、言葉の暴力、浮気性、束縛する人、嫉妬心がとても強い人、そんな人と付き合っていたら無意識のうちに結婚願望も薄れる、もしくは結婚したいという気持ちはなくなるのではないでしょうか。 また、統合的に見てみると、「自分に対して自信がない」と思っている人もそれが婚姻を恐れる理由の一つではないでしょうか。

もしも婚姻生活で幸せになりたい、得たいのであれば、上で挙げた婚姻生活に対して不安要素、恐怖に思ってしまうことはなるべく排除、もしくは避けていかなくてはいけません。そうしていけば、自然と良い縁とも巡り合え、結ばれることができるでしょう。

当舘に訪れ、恋愛運について鑑定を求めてくるお客様皆さんに幸せになって欲しいと常々思っています。今の環境や状況を変えたり、上の出来事をさけようとすることは決して容易いことではありません。ですが、努力して変えようとし、避けられたら、必ず幸せが待っています。 皆さんが幸せで楽しい人生、婚姻生活を送れるよういつも願っています。 そのために一番大切なのは自分の気持ち、心です。 だからどうか皆さん、頑張って下さい~

タイトル「  俳優:姜文のお話4  」
今回でこのお話はラストになります。それでは、どうぞ!
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姜文が新疆へ行った後はずっと、友人が携帯にかけても、聞こえてくるのは「お掛けになった番号は現在サービスの受けられない地区です」という声だけでした。
新疆に閉じこもって子供を教育していることが知られれば、多くの友人が好奇心でやってくるはずです。
姜文はそれを避けてるため、時期が来るまで黙っていましたが、ついに初めて友人たちを招待しました。

姜文は、新疆に来て半年が経ったとき、「モヤシ」のようだった二人の息子は、「イチイの木」のようになったと遠慮なく言い放ち、十数人の親友に、アクス地区に来るように電話で誘いました。親友一団はアクスで6台のジープを借り、二人のガイドを雇って壮大な旅路を越えてやってきました。

そこで親友達がまずおどろいたのは、高原のせいで大人でも息切れと頭痛がし、食べ物は喉を通らず夜も眠れないというのに、姜文の子供は元気に弓を持って走り回りウサギを狩って、濾過しても変な臭いと味がする水でも眉をしかめずに飲み干す・・・恵まれた環境に生まれたスターの子供たちとは似ても似つかず、どこにだしてもしっかり生活してゆける「野生児」だったのです。
初めは子供を連れて新疆に行くことに対して異論を唱えていた友人達も、もう何も言う言葉はありませんでした。
二人の年を足してもやっと10才にしかならない子供達は、ここにいるどの大人達よりも強靭でした。百聞は一見にしかず、この計画は確かに成功したのです。

しかし、姜文はまだまだこれは第一歩に過ぎないといいます。
彼のこれからの計画は、毎年まとまった時間をとり、子供達を最も辺鄙で困難な場所に連れて行き苦行を続けることです。今の子供達が不足しているのは、食べ物から得る栄養ではなく、苦労をする事だと姜文はいいます。
たくさん苦労する事は百利あって一害なし、体も鍛えられるし、能力も高まります。
若いときに苦労するのは苦労のうちに入らず、それは一生の財産となることでしょう。
ちょっと前に姜文はスティーブン・ジョブスの自伝を読み、その中でジョブスが何故この本を出版したかったのか、それは自分の子供達に自分がどんな仕事をしてきたのかを知ってもらうためでした。やさしい言い方でしたが、姜文は自分は同じようなことはしないといいました。

なぜ、子供達と接するチャンスを逃してしまった後で、一冊のお堅い本を通して子供達に自分が何をしたか伝えなければいけないのか。彼は、まだ時間と体力と考えのあるうちに、自ら行動を持って子供達に教えてあげたいのです。

どんなにワイルドでもいい、お父さんは傍に一緒にいるから!

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四回に渡ってのお話。いかがでしたか?最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

タイトル「  俳優:姜文と息子のお話3  」

姜文は二人の食生活も大きく変えました。豪華なお子様ランチはなくなり、その代わりに現地の民族が食べるような食事が出ました。おかずは手掴みで食べるヤギ肉や牛肉、主食は玄米入りのご飯ではなく「饟」と呼ばれるもの、それに無農薬で栽培された野菜が生のまま出されました。飲み物は新鮮な牛乳です。
食事の他には、チョコやクッキーやゼリーなどのお菓子は全く出ませんでしたが、新鮮な果物は24時間いつでも食べることができました。

家には使用人も保母もなく、姜文は二人の息子に清掃員に任命しました。
布団の上げ下ろしも全てです。
姜文は、悪天候の日以外は息子達を家でぶらぶらさせることはせず、常に彼らを連れてあちこちに出かけました。
車を使わず、息子二人とも息が上がって全身汗まみれで歩けなくなって止まらずに、ただひたすら歩いて周りました。
「のんびりお散歩」という名目でしたが、それはまるで野営訓練でした。

しかし子供の潜在能力というものは無限で、初めは数百mで弱音を吐いて疲れたと言っていたのが、1ヵ月後にもなると姜文の右手と左手に息子達の手を繋ぎ、休まず3000m歩いても息が上がることはなくなりました。
信念を持って続けた毎日の訓練に加え、質素な食事のおかげで、二人の息子の体はどんどん丈夫に育って行きました。

周韻が様子を見にやってきたとき、その目から涙が溢れました。二人の息子はチョコレート色に日焼けし、肌は荒れ、両ほほは真っ赤でした。しかし、二人の生活処理能力は同年代の子供をはるかに超えていることは一目で明らかでした。周韻は何も言わずに帰って行きました。一番栄養の糧になるのは「苦労すること」です。

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今回はここまでです。次回でこのお話は最後になります。どうぞ最後までお付き合いくださいね。

タイトル「  俳優:姜文と息子のお話2  」

こんにちは。
それではさっそく前回の続きです。どうぞ。

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アクス地区の新しい家に着くと、周韻は焦りました。この家は何もなさ過ぎる。庭はもちろん室内も土むき出しの地面。壁は禿げ、家具も古びた木製のもの、電気器具は太陽エネルギーのポットとテレビだけでした。

しかし姜文は、周韻に新しい家具を買わせませんでした。2日目には彼女を飛行機に乗せて北京へと帰しました。優しい母親がいれば、厳しい父親の出る幕はありません。残されたのは父と二人の子供だけ。何もかも父親姜文の言葉が全てなのです。

3日目、二人の子供の苦しい日々が正式に始まりました。

朝6時半、暖かい布団の中から追い出された彼らは、まずすぐに防寒の運動服を着せられ、寝ぼけたまま訓練を受けます。アクス地区は「塞上江南(サザン・フロンティア)」と呼ばれますが、昼と夜の温度差が激しく、二人の息子はぶるぶると震え、本能的に暖かい部屋へ戻ろうとするのでした。

しかし、姜文はそんな彼らの手をつかみ、庭に引っ張り出して言いました。「自分について走ってこい。走れなければ歩いてでもいい、ここを一周したら家に入ってよし」その一周とは大体1000mほどありました。二人の息子がちゃんと走ったのは200m程度で、残りの800mはゼェゼェ言いながら終らせたのでした。

やっと家に戻ると、姜文は暖めたヤギの乳を一人1杯ずつ与えました。アクスでの第1日目にヤギの乳を飲ませたときには、一口飲んだだけで吐き出し、変な味がして飲めないと言った彼らは、2日後のこの時には一気に飲み干すようになっていました。

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今回はここまでです。次回をお楽しみに!

元宵節とバレンタインデーが同じ日に チョコレートのお団子と愛の火花

元宵節は旧暦の春節最後の日です。2014年は19年に一度のバレンタインデーと重なる日なのです。台北の「大橋頭延三商圈エリア」では、特別にチョコレートお団子が見られます。
元宵節には灯篭を灯したり、お団子を食べ、バレンタインはチョコレートを送って心を表します。「大橋頭延三商圈エリア」は本来のお団子の他、伝統を破ったチョコレート団子など、新しく工夫した食べ方を生み出していて、元宵節とバレンタインが
激しく火花をぶつけています。

卡優新聞網 2014年2月13日より