夜、ちょっと時間があったので、以前ご飯を作ってくれていた方のためにプレゼントを買いに出かけました。そしたら偶然にも一人の友人に出会い、最近なぜ私がフェイスブックに文章を載せていないの?と尋ねてきました。本当にごめんなさい!
この1,2か月の間から年末まで私の仕事は一番忙しい時期なのです。世界中のお客様の元旦、お正月、そして私達アジアの人々は旧暦もあります。みなさんも旅行に出掛けたり、神社やお寺にお参りして新しい一年の運勢をみたりするでしょう。
私の仕事は占いだけでなく、風水の仕事も忙しいのです。そのためいつも仕事ばかりで深夜になってやっと休むことができます。最近は取材の仕事も多く、原稿を書かねばいけなかったりで、すぐに文章を載せたりみなさんにシェアできなかったのです。みなさんどうかご了承ください!

新年になり、かつ旧暦の新年の足音も近づいてきました。世界中の経済状況がよくないし、天災も後を絶ちません。
私は日月命理館を代表して、先にみなさまが2017年に平穏無事でありますことをお祈りいたします。お体が健康でありますように!幸せでありますように!商売をされている方がますますうまくいきますように!多くの財に恵まれますように!試験に合格しますように!ますます知恵が増えていきますように!

今日からまた新たな一年が始まりました。新年おめでとうございます!どうか平穏無事でいられますよう、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。

2016年もいよいよ終わりを告げようとしいて、まもなく2017年が近づいています。そして今日からついにカウントダウンに入りました。2017の十二干支の運勢に関しましては、1月26日にFacebookのライブ中継でお送りいたします。どうぞお楽しみに!どうか、2017年がみなさんにとって順風満帆な一年でありますように。平穏と順調でいられますよう、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。

皆さん、おはようございます!年の瀬もいよいよ迫ってまいりました!ここのところ天気の変化も多く、気温もどんどん下がってきています。ウイルスの威力も侮れません。このような気候では、皆さん風邪をひかないように、どうぞ暖かい身なりでいて下さい。皆様どうぞ健康でありますように、万事順調で平穏無事でありますように!

みなさん、おはようございます!時が過ぎるのは本当に早いですね。あっというまにクリスマスと新年の季節になりました。こんなにも素敵なクリスマスイヴの日なのに、仕事の関係で一人一人にお祝いの言葉を送ることができません。どうかご了承ください。なのでここでみなさんにクリスマスの挨拶を申し上げます。みなさんの幸運と健康をお祈りしております。どうか、2017年がみなさんにとって順風満帆な一年でありますように。

今日も宜蘭の羅東へ出向き、宿題を提出してきました。いつものように、私たちのお気に入りの店「麥麵子小館」で夕食をとりました。店に来てみると満席で、予約を入れてあったので良かったです。でなければ、外で他のお客さんが食べているのを、指をくわえて見ている羽目になりますから。義理の息子の徳剛が前日に料理を注文してあったので、お店のオーナーの遊さんは格別に美味しい料理を出してくれました。テーブルに並んだ数々の料理を早速みんなでいただきました。主人は晩酌をするのが好きなので、この美味しい料理はいい酒の肴です。本当に冗談抜きに、ここの料理はおいしいですよ!機会があれば、皆さんどうぞこの店で食事をしてみて下さいね。―宜蘭羅東麥麵子小館にて

《お札》

毎年年末が近づくにつれて、私もとても忙しい時期となり、なかなか文章を書く機会がありませんでした。みなさん、どうかお許しくださいね。
仕事も忙しいですし、取材や付き合いなど、本当に忙しいのです!
寝る時間以外は手も足も忙しいくらいです!まるでロボットのようですね、ハハハ!
先月の月末に日本の黒部立山へ、また数日前には主人と主人の同級生と共に台湾の南部へ旅行に行ってまいりました。
みなさんも、故郷に戻って幼少の頃の記憶を探す旅行ってワクワクしますよね。
でも、私は?私は主人の付き添いを除けば、ただのお客さんの付き添いです。
(普段も主人や子供たちと一緒にいることもありません)ですので、
涙を呑んでお客様のご予約を断らせていただいたのです。
そうでもしなければ、私は自分の病気の痛みも忘れるほど仕事が好きすぎて、
なかなか外に出てぶらぶらする時間も取れなかったでしょう。
考えてみれば私は最も自分のことを大事にせず、
また、最も旅行が好きではない人間です。
なぜなら、どこに行ってもみんなのことを守らなければならず、
またあちこち見て歩くのもそれほど興味がないからです。
ですので旅行に行けば、
私はまるでトンボが水面をチョンチョンと触れるようなものなのです。
風水鑑定のために出張する以外は、私は何も趣味がなく、また必死に仕事をする仕事人間です。時には本当に、家で何日かゆっくりと休めたらいいなと思います。
毎回旅行から帰ってくると、心底疲れ切ってしまいますので、旅行は本当に好きではないのですが、主人と友達みんなのためにも、
どうしても行かなくてはならないのです。
今日は自分のこと以外にも、数日前の日本旅行のこともまだ書き終わっておらず、文章を書く時間もなかなかないのですが、今日は特別に占いに関する風習や禁忌について書こうと思いつきました。みなさんの中には、占いをした経験がある人もいることでしょう。宗教上の問題がある人以外は、道教の作法を拒絶する人はあまりいないと思います。
占いや、特に台湾の廟関係の場面では、よくお札を使うことがあります。
例えばお守りとして、魔除けとして、または喪事に赴く場合には陰気を退かせるためにもお札を使います。
今日は偶然、2つの出来事を耳にしました。一つ目はこうです。あるお客さんが私に質問をしてきました。「先生!もし運気が悪くて陰気も強い時にお札の水を使った場合、使用後のお札の水はどこに流したらいいのですか?」
皆さんは、何が答えだと思いますか?
では、皆さんの回答が出てから、私が答えを言うのはどうでしょうか?
皆さんも頭をよく絞って考えてみて下さい。また最近の若い人はあまりわからないかもしれませんが、ついでにここで私とおしゃべりしてみて下さいね!
(これは皆様の考え方を左右するわけではありませんので、どうか誤解しないでくださいね!)ですので、みなさんも良く考えてみて下さいね!続く・・・・

こちらの美女は、台湾大企業で働く私が大好きな仲の良いお友達の一人です。本当に美しくて気品があり、仕事に対して強い責任感を持っている百事企業会社(世界有名なペプシコフーズとペプシコ―ラ会社)の大幹部であるBetty黄社長(総経理)です。昨日ちょうど彼女のライブを見たので、みなさんにもぜひ彼女をご紹介したいと思います。私たちの生活の中でよく見るスナック菓子やソフトドリンクの多くは、彼女たちの会社の商品です。この彼女を見た後、みなさんにもっと彼女たちの会社の商品を好きになってもらい、黄社長みたいにポテトチップスを食べて、もっとハッピーになってもらいたいです。百事企業が大発展いたしますように心から願っております。

日本でも有名なファッション《CREA》が私のところへ取材に訪れました。また私の2017年の最初の日本の雑誌です。
2017年の干支の運勢について記載されています。中国語の部分は、私のHPでも表示しています。みなさまの支持とご愛顧に感謝しております。どうぞよろしくお願い致します!

《日本-黒部立山の旅3 続編1》

続き……
旅に出る前、持つべき荷物、酸素ボトルとサーモス、薬、一番大切なお守り、それと山の上は寒いがゆえに、一番欠かせないコートをトランクにつめました。かつて北海道に行ったときは、風邪をひいて帰ってきました。またある時は肺炎になって帰ってきました。その時はちょうどSARSの時で、あいにく私は留置されました。ただし幸いだったのは、北海道から帰って来たので入院で住みました。
ちなみに黒部立山に行くには合計で6つの交通手段を通らなければいけません。(立山ロープウェイ、高原バス、ダムへ向かうバス、空中ロープウェイ、山路バス)これら6つの交通手段を見ての通り、この山はどれだけ険しいのかお分かりになられるでしょう。こうした交通手段を設立した当時は、巨大な工程であったでしょうし、その過程の中でたくさんの大切な命が犠牲になったんだと予想がつきます。亡くなられた方に敬意を示します。その方たちがいないと、わたしたちはこんなにも美しい自然な眺めを見ることが出来ません。思わず心が感謝と感動の気持ちに溢れてしまいました。どんどん山の上に辿り着くにつれ、空気はどんどん希薄になってゆき、気温もどんどん下がって行きました。これぞ大自然の力だという風に感じました。山の水は冰のように冷たく、私の手はその時に腫れました。呼吸もだんだん苦しくなっていきました。立山の室堂で食事を終えた後、早速酸素ボトルを取り出して使いました。その酸素ボトルはスプレー式で音がまるで殺虫剤のようで大きかったし、使っている時は恥ずかしかったです。でももう60歳近くなので仕方がありません。生まれて初めての雪に触れ、こんなにも美しい雪が見れたことに対して、とても言葉で言い表せないくらい感動しました。そこで私はふと考えました。生涯再びここの地を踏むことが出来るのだろうか。私は体調が悪くてカフェの中で休んでいたけど、子供たちは雪の中でとても楽しそうに遊んでいました。子供達が楽しければ、私はもうそれで良いのです。楽しい時間は過ぎるのがはやく、また次の場所へ進みました。途中で経過する雪の景色をがとても綺麗でした。そこで私たちはダム行きの道を歩いていく途中で、ガイドさんが近くのトンネル口でこの偉大な工程な歴史を紹介しているところがあるので、見に行って来てもいいですよと言われました。そこでたくさんの人が見に行きました。しかし私は体が疲れていたので一階の方でみんなを待っていました。椅子に座っていたら、なんだかとても寒くなってきて、お珠子を取り出し、お経を読み、ここで被害にあった災難者たちに回向しました。しかし読んでいくうちに、ある慰霊碑を見かけました。どうりでなんだか磁場がとても重い感じがしました。帰る時には、みんなで一緒に必ずトンネルの中を通って電車を乗らないといけないので、ここが私の一番大きな挑戦だと思いました。どっちしろもうあとがないので、一人でお経を読みながら着々と歩いていくしかありませんでした。もうすぐ着くころ、坂が傾斜なところがあって、私はもう息が詰まって歩くのがとうてい無理でした。しかし身体のどこかで、ここで倒れてはいけないという声が聞こえ、主人と子供達の付き添いでゆっくりと、なんとか駅まで歩くことができました。酸素ボトルがあって本当によかったです。長女の延延は看護師なので早速酸素ボトルを取り出して、私を助けてくれました。次女の文文も温かい水をくれ、みんながみんな、私のことをケアし、助けてくれました。みんなにも、神様にも、とても感謝をしています。私はある意味で病人で、たまに皆に迷惑を掛けちゃうこともあるけど、幸い一番苦しい時はもう終わりました。帰りに、電車に乗り、バスに乗り、そして終点で降りる時にあるスキーボードを背負っている日本人に頭をぶつけられました。もう頭がフラフラして気が失いそうでした。普通の日本人は礼儀正しいのに、その人はあまりにも無礼でした。初めてこんな日本人を見かけました。当時、顔色がとても悪かったのを知っています。なにしろとても多災多難な一日でしたから……。つづく。