《風水 – 家運の低迷 4 》

つづき…

前回よりお話していたこの二人の親子ですが、親戚の人たちから自分たちの家の構造を変えられてから、親戚たちの環境がどんどんよくなり、この二人の親子は逆に家族を失い、生活の拠り所をも失ってしまったのでした。また、二人とも相次いで車の事故に遭い、体の状態もますます悪くなっていて、体を動かすことさえままなりません。このことを目の当たりにして、心がどうにも穏やかではいられません。自分たちの利益のために人の命運を壊してしまうなんて、正直に言って天がそんなことを許したりしません。将来きっと因果応報の結果が待っているはずです。
「風水」!この二文字は容易そうに見えても、それを行うことはそんなに簡単ではありません。「風水」!陽宅(人が住んでいる家)であろうが、陰宅(往生した者の安息の場所)であろうが、どちらも運を助けたり、逆に運を悪くすることもできるのです。人によっては風水の原理をよく知っているつもりでも、どの様にして処理すればいいのかはわかりません。そして往々にして、うまくやろうとして逆に失敗してしまいます。でも、今回のこの様な風水の構造は、経験のある人ならば、一目でどういうことかが分かるはずです。ここで悪事ばかり働く人たちに、心からアドバイスしたいと思います。「人の行いを、天の神様はちゃんと見ている」とはよく言ったものです。この文章は、私の実際の経験から 書いたものです。皆さんよろしかったらシェアして下さいね。この親子が平安で順調で、健康でありますように、心からお祈りいたします。どうぞ皆様も平安で健康でありますように!

《風水-家運の低迷-3》

前回の続きです。

前の文にも書いたこの女性の家は、入り口に入るとすぐに神様達と祖先の位牌が置かれているの神棚が見えました。
次に彼女たちの部屋に入ると、長い間誰も掃除も整頓もしていませんし、彼女たちは木のつり棚の板と小さな部屋の木の板のベッドで寝ていて、
ベッドの上も物でいっぱい散らかっていました。
この状況を見ると同時に、本当に心が痛みます。
心の中で思ったのは、どうやって彼女たち親子を助けてあげられるか?ということです。自分自身がすでにとても幸せだと思いました。
考えながら部屋の造りを見て回りました。一般的に私は風水を見るは、前のドアから後ろのドアまで見て、
外の環境を見ます。なぜなら、あらゆる環境がとても重要だからです。絶対に欠かしてはいけないことは、この家に入る前に、
もともと入り口の右側に階段があったのに、後ろにあるキッチンに移動されたのはいつからかわからない?とのこと。
聞くところによると、彼女たちの親戚が移してくれたそうです。これを見て、私は冷や汗が出ました。なぜでしょう?
なぜなら、あらゆる災難の根源は、すべてここから始まっているのです。
この家の前のドアは、もともと一つの大きなドアと小さなドアがありました。大きなドアは直接リビングまで行けます。
小さいドアは二階に上がるため階段を使います。当初二階には母方の伯父が住んでいました。体が丈夫でなかったこともあり、
親戚は自分たちで階段を勝手に取り去りました。本当はこの階段の向きを変え、この小さなドアを封じたら良いのに、
後ろのキッチンのコンロの上に階段を持っていったから、あらゆる災難が次々と発生し、一家が離れ離れになって肉親を失うのです。
このような言い方はまったく過言ではありません。実際彼女たちの親戚は以前から裏切りのような心がありました。
彼女たち親子が知らなかっただけで、私も指摘しづらかったのです。
ただ本当に心の中でとても恐怖を感じ、利己主義のために人を傷つけるのを見て、これにはぞっとしました!
つづく…

《風水 – 家運の低迷 2 》

前回の文章の続きです…

前回、女性の家に風水を見に出発しようとしたところ、急に疲労感に襲われて家を出られなくなったところまでお話しました。
私は、目に見えない者たちに道を塞がれているように感じました。彼らは私に彼女の家の風水を見られたくなかったのです。その状況は私にもよくわかります。ですが、あの可哀相なあの女性とその母親を救うためにも、私は行かなくてはなりませんでした。
アシスタントに、彼女と連絡を取ってもらい、約束の時間を遅らせて少し休むことにしました。彼女の家は少々遠く、もともと午前11時に彼女の家に行く予定でしたが、自分の体力を調整した後、午後3時半になってやっと家に着きました。家を出る前、これから私が風水を見に行くところに、神様の助けがありますようにと、神様たちに祈りを捧げました…。
二度目の約束の時間に女性の家に到着してみると、当時外は雨が降っていてとても寒く、彼女の家🏠は、あの時私の脳裏に浮かんだ家とまったく同じで、本当に陰気が強く古びてぼろぼろでした。私たちが家に着いた時、その可哀相な女性は動けないので、彼女の母親にドアを開けてもらったのですが、彼女の母親も足が悪く、ゆっくりとしか動けないようでした。家に入ってみると、状況は想像していたよりも更にひどく、胸が痛むようでした!彼女たちの状況を見て、私は心の中で本当に辛く感じ、しっかりと助けてやらなければならないと強く感じました。もし私が彼女たちを手助けしなければ、彼女たちのこれからの運命は一体どうなってしまうことか本当にわかりません。私は、私に彼女たちを手 助けできる能力があることを神様に大変感謝しました…。
彼女たちの家に入ってまず最初に目に着いたのは、神様と彼女の先祖が祀られている神棚でした。そこには5体の神様が祀られていましたが、そのすべてにもう神様は宿っておらず、あるのは神像の形だけで、それどころか、陰気に入り込まれていました。そのせいで家運も悪く、また彼女の祖先の場所には苗字の異なる二つの位牌が並んでいて、家の中には多くの霊がいたのです。それに加えて彼女たちはあまり動けないため、家の中の環境も物が散らかり、また汚れ、見る者を本当に悲しくさせる程でした。もともとこの家庭では彼女が掃除をしていたのですが、3、4年前に事故に遭ってからというもの、誰も掃除していないのです。母親も足が痛いために掃除をすることもできませんでした。この家庭 が抱える問題がどんなに深刻なものか、皆さんも分かったでしょうか…?つづく。

《風水 – 家運の低迷 1》

この二日間、一人の女性から依頼を受け、息子の智鴻と一緒に彼女の家の風水を見に行って参りました。命理風水の仕事に21年もの間従事していますが、こんなに胸が痛むような場所は初めてでした。今日はそのわけを皆さんにお話しようと思い、特別に文章を書いてシェアします。

数日前、アシスタントが一本の電話を取りました。風水を見て欲しいというそのお客様は、今のその方の状況をアシスタントに少しお話しました。当時私はちょうど風水の仕事をしていて不在でしたので、オフィスに帰ってから聞いたのです。そして私から彼女に電話を掛け直し、彼女の状況についてお話を聞きました。お話をしていくうちに、私の脳裏には彼女の家の様子が浮かび上がりました。彼女の話を聞き終えた私は、迷うことなく彼女の依頼を受けることに決めました。その女性は何度も謝礼はどうしたら良いかと尋ねました。私も、風水の費用の件はまったく話しておらず、お気持ち程度で良いですよとだけお答えしました。なぜなら、彼女の境遇は良くないと私の直感が私に伝え、またアシスタ ントも彼女は恐らく高額な費用は払えないと私に言っていたからです。私は、アシスタントとこの女性に、費用のことは心配しなくてもよいと伝え、すぐに彼女の家を訪れる日にちを決めました🏠⋯⋯。
彼女とお話をしている時、彼女がどうやって私を探し出したのか不思議に思い、尋ねてみました。彼女は中華電信の「1288」で調べたと教えてくれました。彼女の携帯はネットで調べることが出来ないので、電話を掛けて調べたのだそうです。私のような歳のいった人間はこの年齢にして初めて「1288」で電話番号を調べられるという事を知りました。昔から、104や105で電話番号を調べられることは知っていましたが、「1288」でも調べられるんですね、ハハハ!私は時代に後れを取っていますね、歳を取りました!
それはそうと、ついにその女性と約束をした日にちが訪れ、私は息子に車で送ってくれるように頼みました。しかしその日、出かける直前になって、私は急にひどい疲労感に襲われました…家からまったく出たくないのです。私は、この時初めてお客様と約束した時間を先延ばしにしました。なぜこのようなことになったのか、私には分かっていました。興味深い内容のお話はこの後に続きます。皆さん、続き期待くださいね…つづく

#日月命理館

《魚🐠に「収驚(驚いた時にその不安を鎮める)」》
今日、可笑しいことがあったのを突然思い出し、皆さんにシェアしたいと思いました!笑って😄😄😄頂けたら幸いです!
皆さんもきっと聞いたことがあると思いますが、びっくりした時など、その不安を鎮め平安を願うために、廟で「収驚」というお祈りをしてもらうことをことがあると思います。ですが、熱帯魚🐠のような小さな生き物も「収驚」を必要とするとは、皆さんも思いもよらないことと思います!
さて、我が家では🐠水槽があり、そこで私たちの大事な熱帯魚、特に私の主人が心から可愛がっている魚たちが泳いでいます。その日の朝、主人がいつものように大事な魚たちにごはんをあげに行くと、いったい何があったのか、魚たちは主人の姿を見るなり突然物陰に隠れてしまい、その様子に主人はとても心を痛めました!可愛い主人は私に「大事な魚たちは、恐らく何かにびっくりしたのかもしれない、「収驚」した方がいいんじゃないだろうか?」と言いました。私たちはこの言葉を聞いて、とても可笑しくて大笑い😄😄😄しました!しかし、考えてみるとその通りかもしれません。そして、私は魚たちのために、私のこのちょっとした特技を利用して、「収驚」のお浄めのためのお札の水を水槽へ 少し注ぎ、魚たちに飲ませました。するとなんと、2、3分もすると魚たちはだんだん活発になってきたのです。私たちの「収驚」のお浄めの水の効果は、なかなか良いではありませんか👍?私は主人がこんなにも機転が利くことにも今まで気づきませんでした。魚たち🐠にも「収驚」が必要だということを知っていたのですから。笑って頂けたら、私の主人のことも是非褒めて👍くださいね!皆さんも、私の主人はとっても可愛いと思いませんか?

#日月命理館

皆さんこんにちは:
清明節はこの前過ぎたばかりですが、友人から送られてきた笑い話を見て、皆さんにもその清明節での笑い話をシェアしたいと思いました。皆さんにも笑って頂けたら幸いです!😄😄😄

叔父さんがお墓参りに行きました。そして感心しながら、「最近の金紙は本物そっくりにできているなぁ、燃やす時に何となく少し心が痛む」としばらく苦笑した後、妻が電話をしてきてこう言いました。「お墓参りには行ったの?どうしてテーブルの上の金紙を持って行かなかったの?あと、さっき私が下ろしてきたばかりの6万元どこに行ったか知ってる?」叔父さんはそれを聞き終えると、驚きのあまり泣き崩れました。そばを通りかかった人は「なんて親孝行なんだろう!お墓参りでこんなに大泣きする人は今どき珍しい」と、口々に褒めました。その夜、夢の中におじいさんが現れてこう言いました。「孫よ、なんてことをしてくれたんだ。お前のせいで私はあの世の警察に捕まっ てしまったよ、偽札を使ったと言われてな」……..😂😂😂

#日月命理館

皆さんお早うございます!

毎日この八つのことをすれば、
日々がより良くなっていきますよ!

1、微笑む:佇まいがより良くなっていきます。
2、適応する:境遇がより良くなっていきます。
3、理解する:知己がより増えていきます。
4、許容する:生活がより美しくなっていきます。
5、賞賛する:人間関係がより広くなっていきます。
6、遠慮する:度量がより深くなっていきます。
7、善良する:世界がより浄化されていきます。
8、感謝する:幸せがより多くなっていきます。

皆様、おはようございます!今日は私たちの一年に一度の重要な祭日である「清明節」であります。皆様、お墓参りに出掛けられる時は車など安全に気をつけてください!皆様が平安で順調でありますよう、お祈り申し上げます。

皆さんお早うございます!ここ二日、ご懇意にさせて頂いている張さんご夫妻のお誘いを受けて、宜蘭県にある礁溪ロイヤルホテルで休暇を過ごしました。張さんご夫妻にはとても感謝しております。週末をここで過ごして、心をリラックスできます。ここ一年ほど、体調の関係で日本には出張していませんでした。日本でのお友達にお目にかかれず、桜の花を見ることもできずに、とても残念です。でも最近たくさんの日本のお友達からとてもきれいな桜の花の写真を送って頂きました。皆さんどうも有難うございます!せっかくですから、ここでそのお写真を皆さんにシェアいたしますね。皆さんに気に入っていただけますように!

《功徳‐5》

これらの古本は、ある古本屋を開いているおじいさんを助けるために、売れ残った廃棄処分の本を、全部買い取ったものです。おじいさんは本を捨てるに捨てられず、かといって買ってくれる人もいなくて、毎日あちこちに本を運んで、おじいさんはへとへとに疲れ、体を壊していました。ところが、それらの本が、私たちの5人の命を救ってくれたのです。
人の一生とは、時に何が起こるかわかりません。合理的な説明ができないし、或いは、これが私たちの言う《神》なのでしょうか。
人が何かを計算ずくめで物事をしようとしても、時には上手く行かなかったり、失敗したりするのは、神の計算があるというのを忘れているからなのでしょう。
自分の人生をここまで歩いてきて気付かされるのは、人というのはなんて小さな存在なんだということです。人は絶対に自己満足に陥ってはいけないし、自信があり過ぎてもいけない。自我が強すぎてもいけない。《人は神のことが見えないが、神は人の事を知り尽くしている》といいます。ならば、人は偉そうになんかしていられません。(南懷瑾教授推薦の言葉)
~~~~~~~~~~~~~~
この文を読んでとても考えさせられました…全ての人が完全な形でこの世に生きていられるのも、天が授けてくれた福のおかげです。また、どの人にも自分だけの天使がいることを強く信じています。生きているということは、修行をしているのと同じことです。常にプラスのエネルギーを積んでいくのです。正と邪はほんの一念の差、人を助けることは楽しいことです。見返りを求めないことです。人生で一番大きな修行は『智慧』です。そして最も大きな智慧とは『慈悲』です。
《親しい人にシェアして下さいね、人を助けることは自分を助けることです!》