《年の瀬、車の災難-3》
続きです⋯⋯
病院で苦難の一晩を過ごし、息子の智鴻に車椅子を押してもらいながら検査を受けました。それは本当に苦痛なもので、過ぎゆく年月は私のことを許してはくれないと感じました!検査では幸いなことに骨にはケガをしておらず、心の中に居座っていた大きな石をやっと降ろすかのようにほっとしました。そして智鴻は私を家に送り届けてくれました。車でぶつかった衝撃が実に大きかったために、顔と鼻👃、そして膝も腫れて内出血を起こしていました。智鴻は患部を冷やすための氷の袋を2つ作ってくれ、私にくれました。子供達の優しさは、病気になった時に特にしみじみと感じます。我が家のスペシャル看護師は仕事があったために私のそばにはいられませんでしたが、彼女たちもよく弟と連絡を取り合っていて、私は心の中でとても慰められました。こんなにもいい子で物事をよく理解している子供達を私に賜ってくれて、神様には本当に感謝🙏します。この日は本当に混乱🤪と焦りや緊張の中で過ごしました!
次の日、私は先生に電話をしました。先生はすでに82歳で、私は自分のケガの状況を先生に話しました。なぜなら先生はその日(1月18日の私がケガをした日)は、朝に台中から台北へ私に会いにきていました。なぜなら、このように長い時間、私は以前から夜にお客様の命盤を割り出したり、姓名学や図面から風水を行ったりなどの仕事で比較的忙しくなるからです。それは、私が夜の方が感覚が鋭くなり、さらに夜は静かで誰にも邪魔されることもないからです。ですので、朝起きる時間になかなか起きずにのんびりしてしまいます、ハハ😄!すみません!どうか皆さん、私のことを笑わないでくださいね!ケガをした日の朝は、私がなかなか起きなかったために、先生は応接室で私を待っててくださっていました、ハハ😄!先生のご理解には、とても感謝🙏しています!当時、私はアシスタントに、先に先生をお招きして対応してくれるように頼みました。私は急いで支度をし、応接室へ行って先生にお会いしました。私が部屋に入って先生に会った時、私は先生に挨拶するために主人を呼びました。先生は私に、さっき私の主人が神棚の部屋に入るのを見た、と言いました。しかし実際は、私の主人はまだ応接室には来ていないのです!私は心の中で、もしかしたら先生は見間違えたのではないか?と思いました。先生は台湾語で「ああ!彼が出てきたのを見てしまったな」と、2回言いました。私は、先生の言葉をそれほど気に留めませんでした。そして私の主人が先生に挨拶するために部屋に入ってきた時、先生は主人に、「私はさっき私はあなたが部屋から出て行くのを見ました」と言いました。私と主人は顔を見合わせました。いったい先生が見たというのは、誰のことなのでしょう?
時間はお昼に近くなり、先生はそろそろ台中に帰ると私に言いました。私は智鴻に車🚗で、駅まで送るようにと頼みました。私もその時、ぼんやりしていて、しっかりしていなかったようにも感じます!そこ2日間、私はずっとなぜか動悸がして、何かが起こるのではないか?と感じていました。私の家族の中には私自身を含め何人か厄年がいましたし、私は何事にもとても気をつけて日々を過ごしていました。皆様もご存知の通り、私は占いという仕事に従事していますので、お客様の業に触れるとこは避けることができません。知らないうちにいくらかの困難な状況に陥ってしまったりもあります。しかし、私はそれをずっと恐れることなく過ごしてきました。それは、私が正しいことをしていると信じ、このような業を恐れることはないと思っているからです。私はこの何十年間、私の家族も含めて、私は自分や他の人に福となることを作り出さなくてはいけなかったため、災い転じて福となしてきました!そして次の日、先生は私に言ったので。あの時先生が見たのは誰だったのかというと⋯⋯続きます。
♦️まだこれから素晴らしいお話が続きますので、どうぞご期待ください⋯⋯
日月命理館 . 魏嘉誾